はじめに
今回紹介するのは、ある地方の聾学校での自立活動担当者による教育実践です。といっても3か月間ほどの短い時間の中での出来事です。結論から言えば、その子は、その授業を通して、本当に生き生きとし始め、今は「日本語を勉強することが楽しくて仕方ない」といった感じなのです。子どもにとって「わかった! できた!」という体験は、本当に衝撃的で感動的な出来事なのです。このような体験をした子どもは”変わります”。どのように? それは今回紹介する実践の記録をぜひお読みください。
このホームページには、そのような「子どもが変わった!」と言えるような教育実践の記録がいくつか掲載されています。いずれも私たちが言っている「日本語文法指導」の中で起こった出来事です。以下に参考にあげた実践。これらは別の機会にぜひご一読下さい。
①「将来の夢はろう学校の先生~重度難聴S子との3年半の記録(難聴学級)」 https://nanchosien.blog/practice-deaf-class/#educational-practice1
②「外国人子弟の教育に日本語文法指導を導入してみた」
https://nanchosien.blog/japanese-education/#japanese-language-education
さて、話をもとに戻します。今回の実践記録は、「位置詞」を中心に指導した事例です。「位置詞」という概念は日本語の言語学にはありません。Jcoss(日本語理解テスト」)で使われている用語・概念ですが、その妥当性はともかく、確かに難聴児は、この位置関係・空間関係の理解や用語(日本語)の習得に弱さがあります。確かに日常生活の中でモノの位置を伝えるとき、見えている所であれば「(指さししながら)それとって。そうそう、その上にあるやつ」などで終わっていることが多いのではないでしょうか?
また、用語の問題もですが、位置関係を表わすために使われる文の文法(助詞や動詞、修飾表現など)の問題もあります。「本の上にある」と「本が上にある」では、一字の違いですが全く意味が異なります。これ、どうやって指導すればよいのでしょうか?
本事例報告の児童のこれまでの経過
教科書の文を自分で読み、内容を理解するためには、語彙と文法が習得されている必要がありますが、本事例報告のA児は、語彙も不足気味で、また、助詞や動詞の活用など基本的な文法力も不十分なままに地域の小学校・難聴特別支援学級に在籍していたようです。そのため、小学校3年生のときにろう学校に転校。以来3年間、ろう学校小学部で学んできています。問題は、ろう学校でA児を受けとめた時、A児の日本語面や心理適応面等での課題を的確に把握し、課題の解決のための指導がどこまで達成できたかです。ろう学校で一定の成果がみられないのであれば、わざわざ地域から離れて、ろう学校に通う意味はどこにあるのでしょうか。とくに本児の場合は、心理適応的な面よりも日本語の読み書きの力の課題の方が大きく、その点での成果を期待しての転校であったと思われます。
因みに、筆者は、A児がろう学校小学部に転入して少し経った4年1学期の時のJcoss(日本語理解テスト)及び助詞テストの結果の分析を依頼されました。そして、それらの検査結果(Jcoss7項目通過)から以下の提案を行いました。
①「AがBを追いかける」「BがAを追いかける」といった、「~が~を+動詞」の可逆文(JcossNO7)が理解できていないので、「~が~を+動詞」の基本の文法の指導(助詞「が、を」の指導)からまず行うことが必要。 |
②同じく「~が+~ません(動詞否定形JcossNO5)」という問題が理解できていないので、否定形を含む動詞の活用の指導を行うことが必要。 |
③助詞テスト(が、を、に、で、と)の結果(正答率25%)から助詞が理解できていないので、上記の助詞を順次取り上げて系統的に指導することが必要。 |
しかし、1年後のJcossの結果(4年生3学期)は、Jcoss通過項目数は8項目(プラス1項目)、助詞テスト正答率29%(プラス4点)で、日本語面での十分な成果は出ていませんでした。さらにその1年後(5年生3学期)の結果にもまだ著しい成果はみられませんでしたが(Jcoss通過9項目)、助詞については正答率46%(前年29%)で、少し助詞の理解ができてきている様子が感じられました。
A児が6年生になった年(2024)の夏、ろう学校で研修会が開かれました。そのときに、筆者は講師として、A児について以下のように先生方に話しました。「本児の日本語力は大変厳しく、今ははっきり言って小学校低学年レベルです。この力では、小学校6年生の教科書の学習は困難でしょう。中学・高校になるとさらにその差は広がります。「教科書先にありき」では本児の読み書きの力はいつまでもつきません。小学校6年生の今が最後のチャンスかもしれません。A児の指導について内容・方法の見直しを行い、基本的な読み書きの力をつけることを最優先で取り組む必要があるのではないでしょうか。」
この意見を含めてその後小学部全体で議論がなされた結果、10月からの指導内容が見直され、週2時間の自立活動の体制から、国語6時間のうちの3時間を「自立活動」にあて、さらにそのほかに、自立活動担当による放課後30分間の個別指導の時間が追加されました。
こうした経過を経て、今回は、10月から12月までの3か月間に取り組まれた自立活動での経過報告になりますが、果たしてA児の読み書きの力はどこまで伸びたのでしょうか?
小6年A児への「位置詞」の指導~ろう学校小学部自立活動担当報告
児童の実態と位置詞の指導に至った経緯
本指導の対象であるA児は、小学部6年に在籍しており、小学3年の時にQろう学校小学部へ転入してきた。両耳に人工内耳を装用しているが、聴覚活用には難しさがあり、曖昧なまま会話を終わらせようとすることがある。また、語彙の少なさや日本語の読み書きの困難さが顕著に見られる児童である。A児自身も教科書やドリルなどを一人で読んで問題を解いたり、体験したことを日記に書き表したりする活動に苦手意識を持っている。
そんなA児に対して、これまで週2時間の自立活動の時間を中心に日本語文法の指導を行ってきたが、当該学年の語彙力、文法力には達しておらず、当該学年の教科書を一人で読んで理解ことは困難な状態だった。そこで、小6年の後期(10月)から6時間ある国語科の授業時数の半分を日本語文法の学習時間に割り当てて授業を行うこととした。また、放課後も日本語文法を学習する時間を帯で設定(毎日30分間)し、A児が教科書を読んで理解するための文法力や構文力を身につけられるようにすることをねらい、追加指導を開始した。
追加指導開始当初は、格助詞「が」「を」の学習を通した非可逆文と可逆文の理解、格助詞「を」「に」の使い分けや動詞の活用をふまえた受動文の理解を中心課題として学習を行なった。
追加指導を開始して3週間ほどで、A児は可逆文や受動文の大まかな仕組みが理解できるようになってきた。これらの内容を理解するためには、助詞や動詞の活用を理解する力に加え、主語(視点)を切り替えて考える力が必要となる。可逆文や受動文の学習の様子から、A児がこれらを理解できるようになったと捉え、位置詞の指導を開始した。
位置詞の指導開始前のA児は、「右・左」などの言葉は知っていたが、「○○の上/○○の中」のような位置関係を限定したり特定したりする言い方や存在を表す助詞「に」の用法を理解できていなかった。JCOSSの結果も位置詞に関する項目は不通過だった。また、動詞「ある/いる」の使い分けや上位概念を表す名詞のカテゴリー分類についても曖昧さがみられた。本来、これらの内容は系統的に積み上げながら指導していく必要があるが、A児に対しては小学部卒業までの限られた時間の中で指導を行うことを優先し、位置詞の学習の中にA児の苦手とする指導内容を組み込みながら指導することとした。
指導内容・方法
位置詞の学習を全8回で計画し、指導を開始した。また、位置詞の学習に加え、A児が苦手とする他の日本語文法の学習内容を加えて指導計画や教材を作成した。
表1 位置詞の学習に関する指導計画
NO | 位置詞の学習内容 | 加えた日本語文法の学習内容 | 教材 |
1 | 位置詞の文を作ろう。 (「〜は〜の中にいる/ある」) ・具体物を操作して、物の位置関係 表現を理解する。 | ・助詞「の」を使った位置の表し方 (〜の上、下、右、左、真ん中) ・存在の助詞「に」の使い方 ・「いる/ある」の使い分け ・動詞を「テ形」に活用する方法 ・2文を1文にまとめる (重文) | 位置詞の学習1 |
2 | 位置詞の文を読んで絵をかこう。 ・平面上の物と物の位置関係を読み 取って、記号を書き込む(1) | ・助詞「の」を使った位置の表し方 (〜の上、下、右、左) ・重文の理解と読解 ・複文(中央埋め込み型)の理解と 読解 | 位置詞の学習2 |
3 | 位置詞の文を読んで、文に合う絵を かこう。 ・平面上の物と物の位置関係を読み 取って、記号を書き込む(2) | ・助詞「の」を使った位置の表し方 (〜の右、左、中、外) ・重文と複文の理解と読解 | 位置詞の学習2 |
4 | 位置詞の文に合う絵を見つけよう。 ・位置関係と色の情報(1色)を加 えた重文/複文の読解 | ・助詞「の」を使った位置の表し方 (〜の上、下、中、外) ・重文と複文の理解と読解 | 位置詞の学習2 |
5 | 位置詞の文を読んで、文に合う絵を かこう。 ・位置詞(重文/複文)の読解と作図 ・クロスワードを使った複文の発展 課題(表の完成問題) | ・「〜の中にある/〜が中にある」 ・「ななめ」を使った位置の表し方 ・◎(二重丸)の読み方や意味 ・「〜にも〜にもない」否定+否定 表現の理解 | 位置詞の学習3 |
6 | 位置詞の文を読んで、文に合う絵を 選ぼう。 ・位置関係と色の情報(2色)を加 えた重文/複文の読解 | ・「〜の中にある/〜が中にある」 ・「〜でも〜でもありません」否定 +否定表現の理解 | 位置詞の学習3 |
7 | 正しい助詞を考えて、絵に合う文を 完成させよう。 ・重文や複文の構造を理解し、文に 合う正しい助詞を選択する。 | ・サンドイッチ型(複文:中央埋め 込み型)、並列型(重文)の違い ・「〜でも〜でもありません」否定 +否定表現の理解 | 位置詞の学習3 |
8 | 絵を見て、位置詞を使った文を考え よう。 ・これまでの位置詞の学習のまとめ ・条件(主語の指定、文型の指定) に合ったを考え、書き表す。 | ・条件に沿った文作り(主語の指定、 文型「重文/複文」の指定) ・助詞のまとめ「の・が・に」 ・位置表現のまとめ「上、下、中、 外、右、左」 | 位置詞の学習3 |
指導の結果
第1時・・・位置を表す基本的な表現、助詞「の・に」「~で」の用法
1回目の授業では、自作した引き出しの教材を使い、「〜の上、下、真ん中」などの位置を特定する表し方、存在を表す助詞「に」の使い方、「ある/いる」の使い分けをを盛り込んだ学習内容を設定した(写真1)。引き出しの中には、犬・ライオンなどの「動物」や、ハンバーガー・ドーナツなどの「食べ物」、ジュースや水などの「飲み物」の教具が入っており、「ライオンは真ん中の上にいます」「ポテトは左の下にあります」のような位置を表す言い方に加えて、「いる/ある」の使い分けを指導した。また、「犬は生き物です」「ジュースは飲み物です」のようなカテゴリーを表す文作りを行なった。さらに、「アイスクリームは食べ物で下の右にあります」のように、2文を1文にまとめる方法を指導した(写真2)。
A児は動詞の活用を学習していたこともあり、動詞をテ形に直し、2文をまとめて複文(重文)を作る方法をすぐに理解することができた。また、「右・左」と「上・下」を助詞「の」を使って位置を表す言い方や、存在を表す助詞「に」の使い方についても、具体物操作をしながら言語化することで理解することができた。助詞「の」については、名詞と名詞をくっつける働きがあると説明すると、スムーズに理解することができた。この学習では、宿題とも連動させ、生き物や食べ物に加えて、履き物や乗り物などのカテゴリー分類も同時に学習した(使用した教材は「位置詞の学習1」)。
第2~4時・・・モノ同士の位置関係表現、助詞「の・が」の用法、「サンドイッチ型」複文
第2時〜第4時までの学習では、物と物の空間関係を表す方法の学習を行なった。ここでは、具体物の代わりに記号を使用して抽象度を高め、助詞に注目しながら文を読み解く力に繋げたいと考えた。
前段階まで学習した「右の上/左の下」のような位置を特定する言い方から難易度を上げ、物と物の位置関係を表す言い方(「机の下、机が右」など)の学習を行なった。物同士の位置関係を表す言い方は、主語が変わると位置を表す言い方も変わる(例えば、「○は机の上にある」という言い方と「机は○の下にある」という言い方は、物同士の位置関係は変化しないが、主語が変わることで位置を表す言葉が変わる)ということを理解することに重点を置いて指導した。また、「机の上」と「机が上」のように、助詞が異なると表している位置が変わることを確認し、助詞に注目して文を読むことも意識させた。助詞「の」については、前時で名詞と名詞をくっつける働きがあるため、まとめて読むことを確認したり、助詞「が」については助詞カード(写真3)を対象の物に当てて考えたりすることをくり返すことで、2つの違いを理解することができた。
「○が中にある」と「○の中にある」の違いが理解できたら、提示する文を複文(中央埋め込み型)にした発展課題を設定した(教材「位置詞の学習2」)。ここでは、主語と述部に下線を引き、複文の形は主語と述部の間に文章が挟まれている文型になっていることを確認した。(A児とは、主語と述部の間に文が挟まれているので、この複文の形を「サンドイッチ型」と呼ぶようにした。)
学習を重ねることで、A児は自分で主語と述部に線を引くようになり、1文の中に主語を表す助詞「が」や「は」が複数あると「サンドイッチ型の文だ!」と、助詞に注目して文の構造を考える姿が見られるようになってきた。
第5~8時・・・「サンドイッチ型複文」の発展、否定表現など
第5時〜第8時の学習では、重文と複文(中央埋め込み型)の構文を使った位置詞の読解に取り組んだ。この段階では、文に合う絵を作図する課題や文に合う絵を選択する課題、絵を見て正しい助詞を書き込む課題など、段階的に発展させた課題を通して複文と位置詞の理解定着を図った。最後は、絵を見て複文で文章を作成する課題を設定し、A児が自分の力で複文表現を使った文作りができることをねらって学習に取り組んだ(教材「位置詞の学習3」)。
文が複雑になってくると、主語が何かがわからなくなる場面もあったが、A児が迷った文を構文図にして整理することで文の構造を理解することができた(写真4)。また、J―COSSの結果をふまえ、A児が未習得だった「〜にも〜にもない」「〜でも〜でもありません」のような否定+否定の表現を取り入れた課題も設定し、学習を進めた。
まとめ
学習を始めた頃は、助詞を飛ばして文を読むこともあったA児だったが、助詞の違いで文の意味が変わることが分かってくると、助詞に気をつけて文を読む姿が見られるようになってきた。学習の終盤では、「○○が中にある」と「○○の中にある」の違いを言葉にして説明したり、主語と述部を見つけて文の構造を考えたりすることができるようになってきた。また、授業後のA児から「(授業は)疲れたけど、分かって楽しかった」という言葉が聞かれたり、日本語文法指導について書いた日記の中で「もっとレベルアップしたい。」という記述が見られたりしたことから、A児自身が分かる喜びや学ぶ楽しさを感じ始めてきたようだった。
今後は、主部修飾や述部修飾などの複文(下図参照)についても学習を重ね、A児が様々な文型の文を一人でも読み取れるように指導を継続していきたい。
事例報告を読んで
A児の文法上の課題は最初に述べました。今回の自立活動の取り組みでは、10月当初に、すでに本児の課題として指摘していた、①助詞「が」「を」の学習を通した非可逆文と可逆文の指導にまず取り組んでいます。さらに、②「AがBに+動詞」(存在・行先・対象の「に」)の指導、③「AがBを+動詞(出発点・通過の「を」)」の指導、③動詞の活用をふまえた受動文の指導などに取り組んでいます。 そして、上記を3週間ほど取り組み、だいたい理解できたと判断したのち、次の段階の指導として位置詞(=位置・空間関係の表し方)の指導に取り組んでいます。
これらの課題は、本来は低学年で取り組む課題ですが、A児はここから出発することが必要だったわけです。しかし、すでに別の教員によって動詞の活用指導に取り組んでいたことや生活年齢の積み重ねのメリットなどもあり、スムーズに習得できたようです。そして、本格的な「位置詞」の指導に入っていきました。
「位置詞」についての実際の取り組みは上に述べたとおりですが、感想としては、位置・空間関係といったモノとモノとの相対的な関係性を、①視点の変換を理解習得し、②助詞の役割・意味を理解習得し、③主述関係と修飾関係を理解習得し、日本語を使って論理的な思考ができるところまで到達してきていることに大きな驚きを感じました。
また、このような複雑な文が読み取れるようになると同時に、A児自身も「ぼくは出来る!日本語がわかる!」と自信を回復していっていること、すなわち心理的な成長(非認知的発達)につながっていることです。例えば、11月のある日のこの授業担当者からの私へのメールには以下のような文がありました。
「Aくんが授業後に「疲れた〜」と笑顔でつぶやきました。「疲れたのにどうして笑ってるの?」って聞いたら、「分かったから楽しかった」と照れながら言っていました。それをきいて「伝わる=嬉しい、楽しい」の上に「わかる=嬉しい、楽しい」を積み重ねたいなと思いました。子どもたちにはワイワイする楽しさだけではなくて、(勉強が)わかる楽しさを感じてほしいですし、できる喜びを感じてほしいと思いました」 |
また、保護者から寄せられた感想も紹介したいと思います。
「家でも日本語指導の話をよくしています。〇〇先生は宿題が多いっていいながらも、自分から宿題に取り組んでいます。様子を見ていると、日本語でブツブツつぶやきながら考えています。今までそんなことなかったのに。車の中でも日本語で何か言いながら考え事をしているようなことが増えてきました。今、勉強が本当に楽しいみたいです。」 |
日本語の学習を通して、子ども自身が生き生きとし、積極的・意欲的になっていく、これが日本語文法指導なんだと改めて実感しました。全国の聾学校や難聴学級には、日本語がわからなくて困っている子どもたちは沢山いるはずです。どこでつまずいているのかを的確にアセスメントし、文法でつまずいている子どもたちにはぜひこのHPで紹介している方法も視野に入れていただきたいと思います。「学年対応の教科書をやること」だけが教育ではありません。教科書を離れて一度戻ったところから再出発する。それが子どもにとって必要であり将来に向けて大きな意味があることもあるのです。(木島記)