プロフィール

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ごあいさつ

 代表者の”きいじい”は東京都内在住。孫には障害のある子が2人(ASD,CP)います。聴覚障害教育に関わったのは40歳の時から(遅い!)。以来30年以上この道をひたすら歩んできました。30年前は、きこえない子は「9歳の壁」が越えられない、抽象的な思考ができる本格的な「学習言語」の段階に到達できないと言われていました(今なお大まかにいえばそうですが・・)。しかし、発達の早期から手話という「言語」を使う教育実践の中で、安定した親子関係を築き、言語(手話)でのコミュニケーションの力を育て、そして認知面の発達も促していくことで、知識や概念、考える力が育つことを実感してきました(*その発達プロセスについては、このHPの『難聴児の認知・言語の発達」シリーズにまとめていますのでそちらをご覧下さい)。では、「日本語はどうするのか?」ですが、手話でスタートして平均的にはだいたい3歳前後から(発達には個人差はありますが)、子どもは、手話とは異なる日本語の音声、指文字、文字といった「記号」に気づくようになるので(認知的には複数のものの関係性が理解できる時期にくる)、その頃から日本語の記号(音韻=音声・文字・指文字)を使って手話と日本語とを結び付けていくという方法で(会話を通して、絵日記や絵本を通して、のちには言葉遊び、ワークなどの手段方法も使って)、言語としての日本語(language)を身につけることが可能になります。
 とはいっても将来、どの子にも身につけてほしい学習言語(書記言語・読み書き)を駆使できるようになるためには、「学習言語」の言語の種類に関わらずものごとの豊かな概念や考える力をしっかりと身につけていくことが大切なので、大人とのやりとりの重要性は言うまでもありません(話し言葉(hearing,speech)ができることは、学習言語としての日本語の習得の条件ではありません。つまり「話せなくても」読み書きの力はつきます)。そのための土台となる親子の関係(ママ・パパ大好き!)、あそびや生活を通した子どもとの”楽しい関わり”は、やはり大切で最も基本となることです。近年は両親就労の家庭も増え、地域の保育所等できこえる子と同じように過ごす難聴児も多くなってきましたが、両親に代わって難聴児の成長発達を支える、きこえない子と関わるための「専門性」という点では限界があるのは事実です(難聴児は、聴児のような「偶発的学習」は、どんなに聞こえているようにみえても不可能ですから、ただ保育所に入れておけば自然に知識が身につきことばや社会性が育つというわけにはやはりいきません)。そういう点を考えると、限られた時間の中で家庭で過ごす親子の時間をいかに有意義な時間にするかという工夫が、これまで以上に求められる時代になってきているとも言えます。でも不可能なことではないと私は思っています。限られた時間の中での親子の楽しい生活、関わりをどのように作っていくか。これまでに培った私の経験もお伝えしながら、ぜひ一緒に難聴児の心とことばの発達を支えていきたいと思っています。また、きこえない子の指導・支援に関わっておられる先生方とも協力して一緒にきこえない子の成長・発達を支えていければと思っています。
 
 また別のことになりますが、最近は、発達障害をあわせもつお子さんや不登校のお子さんなども増えてきている印象があります(実態は正確な調査がないのでわかりませんが、聴児の不登校より割合は多いかもしれません)。「学校」だけが唯一絶対、学校からこぼれると将来自立できなくなると考えてきたこれまでの、わが国の学校教育の価値観では対応できない時代になりつつあるのも確かです。もちろん、社会的自立に必要な基礎的な力というのは確かに学校の中で学ぶこととしてあると思いますが(例えばメールでやり取りできるくらいの日本語での読み書きの力や日々の買い物に困らない程度の計算力など)、それは学校に行かないと絶対につかないというものではなく、あとで自分で学びなおすこともできると思っています(例えば私が実践してきた日本語の学習方法(「日本語文法指導」~これについては、本HPの『YouTube日本語講座』をご覧ください)は学校でなくても可能です。もちろんなんらかの「学びの場」があり、それを手伝ってくれる人がいるのがベター・ベストですが)。学校という場が唯一絶対ではなく、それ以外の場でも学んだり考えたり語り合ったりできる、多様な生き方・学び方ができる場があり、そうした多様性が認められる社会を私たちはめざしていきたいものです。

きいじいの経歴

 鳥取県米子市に生まれ育ち、米子東高校を卒業後上京。二年間、浪人兼バイト生活の後、青山学院大学・大学院で臨床心理学を学び、小学校教員免許を取得。川崎市教育研究所と文京区教育センター教育相談室で5年間勤務の後、東京都の教員として知的特別支援学校に4年間、肢体不自由特別支援学校に5年間勤務しました。その後、ろう学校に異動。二つのろう学校に20年勤務しました。手話と出会ったのは最初に異動した足立ろう学校(現在廃校)。その後大塚ろう学校に異動しましたが、当時の大塚ろう学校は口話法のろう学校でした。二つのろう学校では、中学部、小学部、幼稚部、自立活動、乳幼児教育相談、特別支援教育コーディネーター等、各年齢段階一通り経験してきました。  

 教員退職後は、東京学芸大学で2019年まで聴覚障害関係の科目の教鞭に立ち、その後フリー、現在に至っています。難聴児支援教材研究会(ほぼ一人研究会)代表、全国早期支援研究協議会事務局長が主な役職で、東京都早期教育相談員を兼務し、ろう学校で幼児の諸検査や言語指導、保護者相談を担当しています。

主な論文

「聴覚障害へのアプローチ~ろう学校での実践から」大正大学カウンセリング研究所紀要,1992
「障害受容とは何か?(1)~(3)」『トータルコミュニケーション研究会会報』1996,1997
「聴覚手話法の実践」『聴覚障害』2001 
「よりよいコミュニケーション環境を求めて」足立聴覚障害教育研究会,2002
「コロラド家庭訪問支援プログラム」厚生労働研究報告書,2006
「家族との連携―臨床訓練マニュアル」厚生労働研究報告書,2007
「小学部児童の日本語文法力の把握と指導の試み」全日本聾教育研究会,2007
「日本語文法指導の実践」聴覚障害児支援夏季研究大会,2009
「日本の人工内耳~調査報告(1)(2)」『ろう難聴教育研究大会報告書』2010,2011
「人工内耳事例報告(1)(2)」全国早期支援研究協議会,2010,2011
「乳幼児期のよりよい保護者支援をめざして」全日本聾教育研究会,2014

主な著作(共著を含む) 

「聴覚障害者の心理臨床」,村瀬嘉代子編,日本評論社,1999
「リファーとなったお子さんのお母さんと家族の方へ」,全国早期支援研究協議会,2005
「『お子さんの耳がきこえない』と言われたら」,同上,2006
「きこえにくいお子さんのために」同上,2007
「たのしいゆびもじ」同上,2007
「パパと一緒にハッピーサイン」同上,読書工房,2008
「おやこ手話じてん」同上,東邦出版,2009
「わが子と人工内耳」同上,2009
「難聴児はどんなことで困るのか?」難聴児支援教材研究会,2011
「難聴理解かるた」同上,2011
「障害児・者の理解と教育・支援」金子書房,2012
「新・お子さんの耳がきこえないと言われたら」全国早期支援研究協議会,2012
「きこえない子のための日本語チャレンジ」難聴児支援教材研究会,2013
「どうすればことばが育つか?」全国早期支援研究協議会,2014
「ことばのネットワークづくり」難聴児支援教材研究会,2015
「新版・きこえにくいお子さんのために」全国早期支援研究協議会,2015
「絵でわかる動詞の活用」難聴児支援教材研究会,2016
「手話で育つ豊かな世界」全国早期支援研究協議会,2020
「ようこそ聞こえない赤ちゃん」久留米聴覚特別支援学校,2021
「伝わる!つながる!親子の手話じてん」ごま書房新社,2021

主な放送番組出演

NHKラジオ「NHKジャーナル」『新生児聴覚スクリーニング検査』2005
NHK・ETV「ろうを生きる難聴を生きる」『今、人工内耳を考える』2009
NHK・ETV「同上」『どう育む?日本語力』2015

これまでの講演・講義

 旭川聾学校、札幌聾学校、北海道高等聾学校、宮城聴覚支援学校、群馬聾学校、坂戸ろう学園、大宮ろう学園、千葉聾学校、大塚ろう学校本校、同城東分教室、葛飾ろう学校、立川ろう学校、川崎聾学校、平塚ろう学校、岐阜聾学校、飛騨特別支援学校、石川県立ろう学校、奈良ろう学校、こばと聴覚特別支援学校、鳥取聾学校ひまわり分校、岡山聾学校、松江ろう学校、浜田ろう学校、尾道特別支援学校、山口南総合支援学校、香川県立聾学校、徳島聴覚支援学校、宇和特別支援学校、小倉聴覚特別支援学校、福岡聴覚特別支援学校、直方特別支援学校、久留米聴覚特別支援学校、佐賀ろう学校、長崎ろう学校、熊本聾学校、都城さくら聴覚支援学校、沖縄ろう学校、第6葛西小学校、高井戸小学校、沖縄県難聴学級、群馬大学、共立女子大学、東京学芸大学、大正大学、京都大学、社会事業大学、ろう・難聴研究会大会、全日本聾教育研究会、障害認識研究会、ろう教育を考える全国討論集会、大阪府「こめっこ」、NPO法人言葉の森くるめ連続講座、沖縄県難聴児親の会、田中美郷教育研究所、沖縄県教育センター、文科省ほか

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