受動文の指導(2)~直接受動文から間接受動文へ

日本語文法指導
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きこえない子にとって難しい文法項目の一つに「受動文(受身表現)」があります。実際、聾学校小学部低学年の段階では、半分以上の子どもが受動文がよくわかっていません。「受身」という「動作を受ける側に立った表現」が理解できないのです。その実態については、前回の記事(「受動文の指導(1)~順序を踏まえて指導しよう」)で紹介しました。
 受動文の苦手な理由の一つは、難聴児の多くが幼児期の「自己中心性」(Piaget. J)の時期から抜け出ておらず「他者の視点」が十分に持てない(「脱中心化」ができていない)ため、同じ動作・行為について、立場を変えた言い方があることが理解できないこと。もう一つの理由は、能動文・受動文の表し方に不可欠な動詞の活用や助詞の使い方(つまり文法)に習熟できていないことです。これらについても前回の記事で述べました。

 このような実態に関わらず、受動文は、国語の教科書にどんどん出てきます。どのあたりから出現するのか調べてみると、教育出版の小1上『だれが、たべたのでしょう』、光村図書では小1下『たぬきの糸車』で出現していました。『たぬきの糸車』では「かわいそうに。わなになんてかかるんじゃないよ。たぬきじるに されてしまうで」という一文です。主語である「誰が」と目的語である「誰に」という部分は省略されていて、文脈の中で読み取る必要がありますから難聴児にはちょっと難しい読み取りです。
 ただ、受動文はその単元で理解しきれなくても、これ以後も教科書の中には出てくるので、自立活動等の時間を使って動詞の活用や助詞の指導とも併せて繰り返し指導するとよいと思います。また、下記のワークブックなども使ってみるとよいでしょう。 

☆『絵でわかる動詞の学習・活用編~「受動文」』難聴児支援教材研究会発行、1700円(税なし)https://nanchosien.blog/verb/#verbpicture
 
 さらに、聾学校でどのように受動文を指導したか、小学部2年生の実践記録も参考になりますのでそちらもぜひ参考にしてください。
★『はじめての受動文~聾学校小2の実践(「どうぶつ園のじゅう医」より)https://nanchosien.blog/passive-sentence-coaching/#passive-sentence1

直接受動文から間接受動文へ

「スーホの白い馬」より

 さて、受動文がたくさん使われている単元は、教科書の中にあるでしょうか? 調べてみると、光村図書では、小2下『スーホの白い馬』に受動文が8回使われていました。受動文は、主人公の立場に視点を据えて書かれるときによく用いられますが、ファイルにある赤線部分がちょうどそのような使い方がされているところです。(上図参照)
 これらの3つの文のうち、最初の2つは直接受動文です。このような文を使って、受動文から能動文に変える練習をしたり、どのように、受ける印象が変わるかを一緒に考えてみるとよいと思います(難聴児にはけっこう難しいですが)。

直接受動文について

 1「スーホ、おおぜい なぐられけとばされて、気を失ってしまいました」

 2「スーホ、友だち 助けられて、やっと うちまで 帰りました。」              

 この2つの文を能動文にすると以下のようになります。

1「大勢 スーホ なぐりけとばして、(スーホは)気を失ってしまいました。」

2「友達 スーホ 助けて、(スーホは)やっと うちまで 帰りました。」

 さて、受動文と能動文では、どのような意味的な違いがあるでしょうか? 1では「大勢が」が主語になるので、視点の中心はスーホから離れて「大勢」のほうになってしまいます。
 2でも、「友達が」が主語になるので、こちらも視点はスーホから離れてしまいます。これでは、スーホの悔しい気持ちがスッと読者に入ってきません。スーホの立場に共感するには、やはり、主人公であるスーホの立場に立った表現が適切です。スーホの視点に立って一貫した表現にするには、能動文よりスーホに視点をあてた受動文のほうが適切なのです。
 このように、日本語では受動文が頻繁に用いられますが、その使い方・使われ方を理解しておかないと教科書の文章を深く読みとることができません。まして、受動文を能動文として理解してしまったのでは、全く文の意味がわからなくなってしまいます。受動文の使い方の指導はやはり必要なのです。

間接受動文について

 さて、では、もう一つの「間接受動文」はどうでしょうか? 実は、上記の3つの文のうち、3番目の文が間接受動文です。間接受動文については、前回の「受動文の指導(2)」で少し説明しましたが、間接受動文の特徴は、使用される動詞が自動詞で、「迷惑」とか「被害」という意味が含まれていました。3番目の文を取り上げる前に、少し間接受動文について考えてみましょう。

 

  A.「オレオレ詐欺に お金を とられた」(間接受身文)

  B.「電車で 子どもに 大泣きされた」(同)

 では、この文を能動文に直すとどうなるでしょうか?

  A.「オレオレ詐欺が お金を とった」(能動文)

  B.「子どもが 大泣きした」(同)

 この二つの文は能動文です。では、直接受身文にかえることはできるでしょうか? 直接受身は主格と目的格が必要でした。しかし、Bの文は、「~を」(目的格)にあたる語はありません(つまり動詞は自動詞)。ですから、直接受身文にはできません。
 しかし、Aの文は「(お金)~を」という目的格があります。ですから「お金」を主格にすれば、直接受身文ができます。  
  
 A.「お金が オレオレ詐欺に とられた」(直接受動文)
 
 ただ、日本語ではあまりこういう言い方はしません。この場合、やはりAの「オレオレ詐欺に お金を とられた」という言い方が普通です。では、この文の本来の主格(主語)にあたる人(お金をとられた人)はだれでしょうか? ここではオモテに出てきていませんが多分、「わたし」とか「母」などですね。その省略部分の主格を補って間接受身文にすると以下のようになります。
 
 A.「(母が) オレオレ詐欺に お金を とられた」  

 間接受身文は、このように、迷惑を受けた人、被害を受けた人、困っている人などが存在し、その人の立場に立った言い方なのです。また、直接受身文と違い、B.のような自動詞でも受身文を作ることができます。

 B.「(わたしは)電車で 子どもに 大泣きされた」

「スーホの白い馬」の3番目の文について

 さて、ここでまた、国語教科書「スーホの白い馬」の文をみてみましょう。前回、とり上げた三つの文のうち、三番目の文、これが実は間接受身文なのです。以下の文です。

3「それでも、白馬を とられた悲しみは、どうしても消えません。」(受動文)

 この文の修飾節になっている「白馬をとられた」というところです、この部分を能動文にし、省略された部分を復元すると以下のようになります。

 「(殿様が) 白馬を とった」(能動文)

 この能動文には表現されていませんが、ここには、白馬をとられて悲しんでいる人=スーホがいます。これが本来の主格です。その主格を補うと、以下のような間接受身文になります。

 「(スーホが)(殿様に) 白馬を とられた」(間接受身文)

 

「(  )   オレオレ詐欺が お金を とった」(能動文)
「(母が)  オレオレ詐欺に お金を とられた」(間接受身文)

もう一度整理すると、以下のようになります。間接受身文を作るには、能動文の主格についた「~が」を「~に」に変え、能動文では隠れていた迷惑を受けた人( )を主格にすれば、間接受身文になります。

「(  )   (殿様が)   白馬を とった」(能動文)
「(スーホが) (殿様に)   白馬を とられた」(間接受身文)

 さて、これを小2の子に教えるとなるとちょっと難しいと思います。直接受身文のように能動文の中にあるパーツ(語)だけを使って作り替えることができないからです。ですから、教科書の中では、「白馬をとられた悲しみ」から、「白馬をとった」人はだれか、「白馬をとられ」悲しんでいる人はだれかを考えさせることから、こうした類の例を子どもたちの経験から出させるとよいのではないかと思います。例えば、「先生に隣に座られて嫌だった」「知らない人にジーッとみつめられて困った」「幼稚部の子たちに騒がれて迷惑だった」など「~に~されて、(迷惑)だった」という構文の練習です。ぜひ、いろいろと例を出してみて下さい。

 因みに、「持ち主の受身」という考え方もあります。これは、主語の所有物や身体の一部、親族や知人が動作の対象になるものです。「白い馬」は「スーホ」の持ち物と考えると、この考え方を当てはめることができ、「間接受動文」に含めない考え方もありますが長くなるので別の機会に譲ります。

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