生後半年くらいまで・・生理的基盤の発達
難聴児の0歳代の認知や言語の発達については、研究とか文献とかあまりありません。数少ない研究論文の中に野中(2006)のものがあり、野中は難聴乳児が音声がききとれないために大人との関係が作りづらいことを指摘していますが、確かにそのような難しさがあるのは事実です。
では、音声なくして親子関係を築くことができるのでしょうか? そんなことも含めて難聴乳幼児の発達について述べてみたいと思います。
難聴の有無にかかわらず生後6か月頃までは生理的な基盤が整ってくる時期なので、この頃まではきこえている赤ちゃんへのかかわり方ときこえない赤ちゃんへのかかわり方に違いはありません。きこえない赤ちゃんときこえている赤ちゃんとの言語発達の面で違いが出てくるのは生後半年位からで、きこえている赤ちゃんはこのころから日本語の子音が形成されはじめ、「規準喃語」が出てきます。
喃語についていうと、喃語には二種類の喃語があって、一つ目の喃語は、生後2か月頃から発声する「アーアー」とか「ウーウー」とか言う母音中心の「過渡期の喃語」です。この喃語は生得的に生ずるもので、きこえる・きこえないに関わらず生じるので、きこえない赤ちゃんも聞こえる赤ちゃんと同じように発声します。
生後半年くらいから・・音声喃語と手指喃語
もう一つの喃語は、「規準喃語」と言われる喃語で、これは、耳からきこえてくる音声を学習して発生するものなので、きこえる子ときこえない子では、ここから違いが出てきます。
武居(1999)は、重度難聴児のケース・スタディーから、重度難聴児は音声での「規準喃語」は生じず、代わりに手をひらひらするなどの「手指喃語」(しゅしなんご)が生じると言っていますが、手指喃語とは、きこえる赤ちゃんが「バババ・・」とか「ダダダダ・・」「マンマンマン・・」など、のちの音声言語につながる子音が混じった喃語が出てくるのに対して、きこえない赤ちゃんは、声の喃語はあまり出ないで、その代わりに顔や胸のあたりで手をヒラヒラさせたり、パチパチたたいたりするなどの動きが生じ、これを「手指喃語」と呼んでいます。
確かに、筆者(木島)が行った保護者からのききとり調査でもその傾向がみられ、筆者の調査では、裸耳聴力が80~90dBあたりを境に、それより聴力の軽い子では音声喃語が生じやすく、それより聴力の重い子は手指喃語が生じやすいという傾向がみられました。つまり、補聴器を装用しても裸耳聴力80~90dB以上の難聴児は手指喃語が、それ以下の難聴児では音声喃語が生じやすいという傾向です(上図)。
1歳頃から・・初語は日本語?手話?
筆者の調査したお子さんたちは、全員が補聴器を装用していますが、手話も使っていますので、音声言語も手話言語も、両方が同時に提示されるコミュニケーション方法です。しかし、初語として最初に出現するのは、聴力に関係なく圧倒的に手話でした。これはある意味、当たり前の結果です。なぜなら、音声言語が成立する要件である音韻の100%の区別は、どんなに性能の良い補聴器をしたとしても、やはり難聴である以上、難しいと考えられるからです。例えば、散歩のときにママが「イヌだね~」といったとしても、1歳前後の難聴児の耳に届いていることばは「イヌだね~」という明瞭な音声ではなく、ちょっと極端かもしれませんが「イウアエ~」という母音程度の弁別しかまだできない。そのために言語としてはまだ成立しないということだろうと思います。
しかし、手話の音韻(手話素)を形成する「形」「位置」「動きの方向」は、視覚障害がない限り100%弁別ができるので、言語としての成立要件を満たしています。また、言語の成立に必要な象徴機能(symbol)という点からみても、手話は、実物を視覚的にイメージしやすい(写像性がある)という利点があり(例えば「イヌ」であれば、犬の耳をイメージした手の形を頭につけて前に2,3度倒す)、言語として獲得しやすいということでしょう(これらのことは聴児がベビーサインを使うのと同じです)。その結果を4人の事例で表にしたものが上のファイルです。確かに、手話の獲得は、聴力の重い軽いに関わらず音声言語に比べても早いことがわかります。また、出現する手のかたちとしてはグーとパーを使った手話の単語(形態素)です。赤ちゃんができる手の形はやはりグーとパーが多いのでこれまた当然とも言えます(私の調査では初語の80%がグーまたはパーを使った手話単語でした)。
言語獲得に大切な二つのこと
では、こうした言語が獲得されるために、どのような条件が満たされる必要があるのでしょうか? これまでの研究から言われていることは、ママとの愛着関係(社会的相互関係)と象徴機能の発達という2つのことです。
親子の愛着関係について
愛着関係の中で大事なことは、「ねえ、見て見て!」という指差しによってママと子どもとの関係の中で、モノを挟んで「三項関係」が成立することです。言語というものは人と人とがお互いに伝え合うためにあるものなので、伝えたいことがあり、その伝えたいことを二人で共有しなければならないということは当たり前のことなのですが、この「共有する」ことがそれほどすんなりとはいかない。そのために、大人の側の意図的な配慮・かかわりがかなりの時間にわたって必要な場合があります。このことはとても大事なことなので、また別の記事に改めて書きたいと思います。
象徴機能(Symbol)について
もう一つは、象徴機能(シンボル・symbol)の発達ということです。シンボルとは、わかりやすく言えば実物の代理物。私たちは、あることについて考えたり、誰かとコミュニケーションしたりするとき、頭の中にイメージを浮かべたり、言語を使って考えをまとめたり人に伝えたりします(頭の中の自分が描いているイメージを他者が直接見ることは不可能なのでイメージは自分だけのもの)。それによって、実物がなくても、頭の中で考えたり、人に伝えたりすることができます。こうした実物に代わるもの(記号)をシンボルと言っています。
赤ちゃんは生後6か月を過ぎると、実際に自分が体験したことをシンボルであるイメージを使って頭の中に記憶します。その記憶イメージがあると、その時に撮った写真などをみて思い出すこともできます。この時、写真も実物の代理物ですからシンボルということができます。写真はお互いに共有できるシンボルです(だから「写真カード」を使ってコミュニケーションができる)。このようなシンボルは、ほかにもいろいろとあります。遅延模倣(やったことを思い出して動作で表現すること)、やったことを思い出して積木、粘土、砂、描画なども、自分の頭の中のイメージをかたちとして表現する方法で、これらの素材は全て実物の代わりとして使われているものですから、シンボルです。そして、実物の代わりとして使われ、だれにも通じる言語こそシンボルの究極の表現形態ということができると思います。こうしたシンボルを年齢と共に高度にしていくことが認知機能の発達です。例えば、数学や理科で使うような数字とかアルファベットなどもシンボルです。こうした高度なシンボルを使うことで、実際には目には見えないことも頭の中で考えることができたりします。抽象的で高度な学問には不可欠なものです。
初語表出の頃の言語発達をみる観点
上の図は、社会的相互関係のあらわれである「指差し」や「共同注意」、象徴機能のあらわれである遅延模倣などをみる観点を整理したものです。
また、下の4人の事例の記述は、保護者育児記録にみられる発達の様子を抜き出したものです。これらをみると、音声言語や手話言語獲得前後の喃語や初語の出現の様子や指差しや共同注意、遅延模倣などのシンボルの出現などの発達状況がよくわかります。
また、こうした記述から、言語が獲得されるために必要なこと、例えば、発達障害が合って言語獲得の兆候があまり見られない子どもの支援を考える際に、スキンシップのある遊びなどをすることで「もっとやって」という他者への要求を育てようとか、やってほしいことを伝える時、「クレーン現象」(他人の腕を欲しいものにもっていく)ではなく、写真カードや絵カードなどのシンボル機能を持ったもので要求できるようにしようとか、好きなリズム運動を使って、模倣する力を育てようとか、言語獲得のために必要な手立てを考えるヒントにもなると思います。
親子の会話の様子(手話を使った事例)
言語獲得を促す1歳頃の親子の会話の様子を上に紹介しておきます。指差し、三項関係、同時模倣、写真カードの使用などがとても上手に使われています。
初語の表出
音声言語であれ手話であれ、初語が出るということは、保護者にとって感動的な場面。それがよくわかります。
ただ、初語表出は本当の意味での言語獲得ではありません。言語が獲得できた、と言えるまでにはまだあと1年ほどかかるのです。