はじめに
「ストレスを生むのも、ストレスを解消するのも人間関係の中である。だから、人間は深い人間関係の中で安らぐというのがいい。
仲間とコミュニケーションするのが安らぎだというのがいい。だから、おとなだって一人で酒を飲むのはよくない。気の合った仲間と一緒がいい。
人間関係を楽しむような練習が、子どもの頃からできていない子どもほど攻撃的になる。子どもの保育や教育に携わるような仕事の人が孤独であってはいけない。子どもを本当に受け入れるためには、自分が人から受け入れられていなければならない。
少年の心の成長のためには、人間関係の質よりまず量が大切である。現代っ子は、少年時代に人間関係の量が足りない。量より質が大切になるのは、思春期になってからである。
人間は深い人間関係の中で安らぐというのがよい。子どもの時に一人でいるのがホッとするようではいけない。本当は大人だって。」 佐々木 正美(児童精神科医)
「不登校」の要因について
不登校に関する調査研究(2024)から
「はじめに」のことばは、故佐々木正美先生(児童精神科医)の「ことばの森」の文章の中からの抜粋です。
さて、ここからちょっと話が飛びますが、現代社会の中ですっかり定着してしまった社会現象の一つに「不登校」という問題があります。2024年の文科省の統計では小・中学生だけで35万人。全小・中学生の4%を占める人数となっていますから、一クラスにひとり以上いるという割合です。
不登校になる原因は一つではありませんが、人間関係の問題がきっかけになっている場合が少なくありません。ある研究(*)では、不登校に絡む要因の調査が児童・教師・保護者の三者対象に行われ、その結果が分析されていますが、その報告の中で学校教師も子ども本人も共通に考えている要因がいくつかあります。以下のことがそうです。
(*)不登校の要因分析に関する調査研究報告書,文科省委託研究,2024.3
①人間関係に関わること・・・仲の良い友達がいない
②学習に関わること・・・授業が分からない、宿題ができない
③学校生活のあり方やルールに関わること・・・制服・給食・行事への不適応
④進学や転校など将来や環境の変化に関わること・・入学・進学・転校など、
⑤生活リズムや余暇に関すること・・インターネット・ゲーム等の影響
⑥心身の安定に関わること・・・感覚過敏、からだの不調、不安・抑うつの訴え
また、教師から見えにくい子ども本人が訴えている要因もあります。以下の二つです。
⑦いじめの被害、友人関係のトラブル
⑧先生から厳しく怒られた・体罰
これらのことから、不登校という状態は一言では語れない複雑な問題が背景にあると考えられますが、この中で人間関係のあり方に起因する要因がいくつかあることも忘れてはならないと思います。
難聴児の場合は・・・
難聴児の場合も、インテグレーションしている子どもたちの中には、「仲のよい友達がいない」「いじめ被害にあった」「友人とトラブルになった」「先生から厳しく怒られた」など、調査にもあったようなことがきっかけで不登校になる子どもたちがいます。難聴児の場合も聴児の場合同様、人間関係が関与していることは少なくないようです。また、学校には行っているけれど、休憩時間はいつも一人で遊んでいるとか本を読んでいる、校内の難聴学級の先生のところに行っているといった子どもも少なくありません。聴児とのコミュにケーションや人間関係の問題はそう簡単ではありません。
難聴児が人間関係を学ぶ場とは?
では、聾学校に通っている子どもたちはというと、やはりコミュニケーションや人間関係がきっかけになって不登校になる子どもたちは少なからずいます。例えば、以下の事例は、コミュニケーション手段の違いから、「学校に行くのにつかれてしまい、休んでいた時期」があったという例です。
*湯澤葵(聾学校高等部2年)「自分という人間を知る」,『手話で育つ豊かな世界』,2020
また、聾学校に行っている時間はまだよいのですが、聾学校が終わって家に帰ると、とたんに独りぼっちの生活になる子どもたちは少なくありません。自由な会話が成り立たないために地域の子ども集団には入れない、地域の小学校の放課後クラブや放課後デイ等に行ったとしても、結局は独りぼっちで過ごして家に帰る。家に帰っても親も日々忙しいし兄弟とも自由に会話ができるわけではない。独りぼっちでスマホやタブレットでゲームやユーチューブに浸る生活・・。
学校や地域の子ども集団が、勉強を学ぶ場だけではなく、友達と遊び、語り合い、友達の考えに触れながら成長していく場としての意義が大きいことを考えると、学級や子ども集団の中で安らげない、くつろげないことは、やはり子供にとってはつらく苦しいことだと思います。
難聴児が人間関係・社会性を学ぶ場の保障~放課後デイの意義
毎日の幼稚園や保育園、学校での生活、放課後や長期休暇などの時間が、難聴の子どもたちにとって、学ぶ楽しさ、友達とかかわる楽しさを十分に味わえるような場所になっておらず、また、こうした集団の中でのけんかを含めて葛藤があってもそれを乗り越えるたくましさを身につけていける場であることも大切だと思います。
こうした学びが成り立つのは、自由に会話できる言語があり、互いに心置きなく語れる子ども同士の関係の中で、喧嘩してくやしい思いをしたり、あきらめたり、我慢したり、相手の気持ちをうかがって手を緩めたり、ことばをひっこめたりする・・・子ども同士の対等な関係性の中で育ち合う場が保障されてこそのことだと思います。
難聴の子どもたちを地域で学ばせたい、社会性を身につけさせたいという願いはよく語られますが、地域の幼稚園や保育園、小学校や中学校に行っていれば、学力も社会性が身につくというほど簡単なことではありません。一方で家庭は、学校から帰ってきた難聴児たちはタブレットが与えられ、ゲームやユーチューブに没頭。幼い頃から一人でゲームにのめりこんでいる子たちはけっこう多いです。ここでも人間関係を学ぶ体験は十分ではないように思えます。こうした生活を繰り返す中で、それがそのまま社会性の欠如につながり、将来、社会に出て行くときの人との関わり方やコミュニケーションの取り方の未熟さにつながっているのかもしれません。
今や毎日の生活の中に、人間関係やコミュニケーションを学ぶ機会をどう作っていくか、意識していかなければならない時代になってきているのだと思います。そう考えたとき、学校生活という時間と共に、放課後や長期休暇という学校外での時間をどう有効に過ごすかは大きな問題だと思います。
そして、いかにそうした人間関係を学ぶ場を保障していくかは、私たち大人が考えねばならないことなのだと思います。一人一人の難聴児にとって、十分にコミュニケーションが図れ、人間関係を学べるような環境を責任を持って探したり整えたりしていきたいものだと思います。
