「将来の夢はろう学校の先生」~重度難聴のS子との3年半の記録(難聴学級)

日本語文法指導
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「重度難聴のS子さんが入学します。立ち上げの難聴学級担任をお願いします。」20××年3月、突如、難聴学級担任と告げられた私は、聴覚障害について何も知らないまま、その後わずか数日で難聴学級担任としての生活がスタートした。

 4月に入って入学式を待たずに対面したS子は、両耳に補聴器を装用し「名前は、たらた(発音の誤りがあり本名とは全く違う)でちゅ。よろちくおねがいちまちゅ。」と言ってお辞儀をした。きこえない子は発音に課題がある事は知っていたので、まずは発音指導について学ばなければいけないなと、その時は思った。その後、私の自己紹介をしてから、きこえる子に質問するのと同じく「誰と来たの?何できたの?」など質問をしたが、首を傾げるだけで何も答えない。幼稚園からの申し送りにも、言葉を発することはほとんどなかったとあったし、緊張しやすい性格なのかなと、その時はさほど気にもせず玄関で「これから宜しくね」と告げて見送った。

 入学式が終わって3週間ほどは午前中授業で、その間は交流学習期間として交流学級で登校から下校までを過ごした。S子は級友や交流学級担任から声をかけられると、常に私の顔を見上げ不思議そうにしていた。きれいにきこえてないから反応できないのかもしれないと思い、私がS子にかわってこたえることがほとんどだった。

 交流学習期間が終わって、いよいよ本格的な授業がスタートした。登校後、前日のこと、お休みの日の出来事を尋ねると、こちらの質問と全く合わないちぐはぐな答えが返ってくる。指文字をつかって同じ質問をしても首を傾げて困ったような表情をする。国語の授業では教科書の内容を一緒に読んだり書いたりして、その後、5W1Hについて質問すると困った顔をするだけで答えられない。きちんと音を押さえて読んでいるし、間違いなく書いているのに分からないという事は、もしかして、言葉そのものの意味が分からないのではないのかもしれないという事に気づき、国語の時間は言葉一つ一つの説明に時間がかかり、授業がどんどん遅れていく。このやり方が間違っているのか当たっているのかも分からない。校内でたった一人の難聴学級担任。悩みを相談できる相手もなく、教師としての自信喪失、焦燥感に襲われる毎日だった。

体験し語彙を整理することから始める

 そんなとき、地区の研修会で『難聴児はどんなことで困るのか?』という本にであい、「語彙が不足していると、読み書き・学力は伸ばせない」という一文が目にとまった。そこには「語彙を習得するにはまず直接体験が必要だ」と記されていて、きちんと整理することで語彙が増え、更に高次の概念を習得することができると書かれていた。「これだ!これしかない!」と、翌日からすぐに知的学級で使用されていた写真と文の教材を借りて難聴児用にアレンジし、体験と言葉をつなぐ活動をはじめた。栽培学習、制作活動、調理実習、その他全ての活動においていつもホワイトボードやノートを手に持ちその場で言葉を指導した。全ての物には名前がついていること、そして、それを分類し仲間分けしてカテゴリー化すると、そこにまた名前がつくことを指導した。このような活動を繰り返したことで、言葉を獲得していくプロセスを身につけていったように思う。また、日記を書く際は活動前と活動後で上下に書かせるようにし、例えば、活動前は「にんじんを切る」となるが、活動後は「にんじんを切った」と動詞の語形が変化することを指導した。それにより、動詞は時間の経過などによって形を変えることを理解することができたように思う。このような活動を1年生から2年生にかけての2年間行ってきたことで、少しずつ友達との会話も成り立つようになってきたが、まだまだ助詞の用法、動詞の活用には大きな課題があった。

どうすれば助詞が身につくのか?

 助詞の指導については、会話の中で助詞を指文字で表したり、日記の中で指導したり、プリント学習を毎日の宿題や朝のドリルの時間に取り組ませるなどいろいろ手を尽くしたがなかなか定着しなかった。間違いを指摘すると「が?で?は?・・・」と適当に助詞を入れて私の表情から正解か間違いかを読み取ろうとする。「この指導法では無理だ・・・」と限界を感じていたとき、難聴児支援教材研究会のHPを見つけた。そこには言語を系統的に指導する方法がのっていて、そのゴールに「日本語で書かれた教科書を読んで理解する」と明記されている。「これだ!」と身震いする思いだった。
 そこからは毎朝5時に起きて、というより、勉強がしたくて指導法が知りたくて早くに目が覚め、出勤前に1時間ほど学習する毎日。HPから文法指導の理論を学び、木島氏のYouTubeから実際の指導法を学び、学校でS子に実践する日々!助詞手話記号については、S子の方が私よりも習得が早く、逆に私の方が「指導される」こともあった。教材もテキストも全てHPからダウンロードし、それを授業の中で活用したり、時には一緒にYouTube動画を見て勉強したりする毎日。S子の日本語の読み書き能力はぐんぐん伸びていき、あれほど苦しかった国語の授業が少しずつスムーズに流れていくようになった。

「きこえるようになりたい!」

 そんなある日、言語発達と同時にメタ認知力(物事や自分を対象化し、客観的に考える力)のついてきたS子が「T先生、S子はお腹の中にいるときお耳ケガしたわけ。ケガだから治るよね。きこえるようになりたい」と私の腕を掴んで言った。この時、きこえないことによる困難がS子に覆い被さっていたのだと思う。「きこえるようになりたい・・・」そう思わせている責任が(聴者の側にいる)私にもあることは分かっていたので、それに対してうまく言葉を返すことができなかった。そこで、きこえない自分を肯定的に受け入れるきっかけになればと、ある成人のろうの人との出会いの場を設定した。

時を同じくして、いつも点数が悪くて叱られていたリハビリの助詞のテストで満点をとることができた。そのリハビリでの様子を、翌日登校するなり嬉しそうに話し始めたS子!「リハビリの先生がねぇ『どうやって助詞の勉強をしたの?助詞手話記号って何?分からないなぁ。』って言ったんだよ!リハビリの先生も分からないのにS子全部分かるよ!」と。その後、「ねぇ、千恵子先生、S子は助詞手話記号分かるでしょ!S子はきこえないから見る力が強いからね。だから、この助詞手話記号の使い方をきこえない子に教えてあげたいから、きこえなくていい!きこえない方がいい!」と明るい声で私に話してくれた。その日のS子の満面の笑みを思い出すだけで胸がいっぱいになり涙がこぼれる。そして、S子は今、「将来はろう学校の先生になりたい」という夢をもち、それを叶える為に一生懸命学びながら、友達とも楽しくおしゃべりをするようになっている。

 本当に、指導法が分からず、担任として苦しい時間も長くて、苦しいこともたくさんあったけれど、今、夢をかたるS子を見ていると、改めて「自信をつけてあげること!自己肯定感を高めてあげること!これが教育にとって一番大切なことだ」と感じる。もちろん、これから先、ずっと上り調子ではなく、また気持ちが落ちることもあると思う。でも、一度乗り越えた経験があれば次もきっと乗り越えていけると思う。

心の面での成長

 それからしばらくたったある日、こんなことがあった。学校のトイレの清掃にスクールサポートスタッフとして来ておられるMさんに、トイレに入ろうとしたS子がこう言った。「M先生、いつもトイレをきれいにしてくれてありがとうございます(お辞儀)」
そうしたら、Mさんは、感極まって涙を流しながら、『うん。ありがとうね。嬉しい!』と、ひとつだけ分かる『ありがとう』の手話をつかってS子に言った。そのやりとりを見て感動した私は、すぐそこにいた校長先生に今のやりとりを伝え、2人の姿を見て私たちまで感動して涙ぐんだ。
「きこえない自分は自分のままでいい!」そういう、肯定的な自己認識、障害認識の育ちは、当然、自己肯定感につながる。自己肯定感が育った子どもは、自分の気持ちを他人に押し隠す必要がないから他人に対して素直な気持ちで接することができる。そんなS子の成長の姿が現れている一場面だった。

 それから半年たった今(4年生)、S子はさらに成長し、あれほど嫌がっていた本を自分から読むようになった。今、夢中になって読んでいる本は、『ひみつシリーズ』(学研)であるが、今後の歩みは、また別の機会に報告するとして、今回は、1年から3年生秋までのS子と歩んできた3年間の実践の記録を掲載しておきたい。皆さまのご意見・ご感想をおききできれば幸いである。

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