発達のゆっくりな中等度難聴児の手話の獲得~保護者の手記より

軽・中等度難聴,一側性難聴
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  手話のよさの一つは、発達に多少の遅れがあっても身につけられることです(*1)。発達に遅れがあってそこに難聴が加わると音声言語を身につけることに困難さが増すのは確かです。近視は眼鏡で矯正ができますが、感音性難聴は補聴器や人工内耳で音のひずみの矯正はできません。音自体のひずみがあればどんなに増幅しても100%の音韻の弁別は不可能です。音韻の弁別が確実にできなければ音声言語は獲得できません(ソシュール1916)。文字や指文字など音韻を100%弁別できる記号を習得するまで待つしかないのです。
 その点、手話の「音韻」である、手のかたち手の動きの方向手の位置(=手話素)の弁別は、見えてさえいれば(視覚障害がなければ)可能なので言語として獲得できます。また、手話はもともとそのモノやコトの形態的特徴を象徴していることが多いので(写像性)、知的に障害があったとしても、音声言語よりはるかに獲得しやすいというメリットがあります。

 さて、ここで紹介するのは、サイトメガロウィルスによる中等度難聴で、発達障害のあるお子さんの手話獲得の事例です。このお子さんは家族に愛されて育ち、そして早期から手話をつかったおかげで、定型発達のお子さんのペースよりは遅かったのですが、ちゃんと手話でコミュニケーションがとれるようになりました。以下、保護者の手記から引用したいと思います。

さまざまな障害が重なったわが子

 わが子は、出生前から様々な器官に疾患の可能性を指摘されていました。産まれた瞬間、自発呼吸が出来ている事にまずは安堵したのを覚えています。それから2週間、NICUに入院しながら検査をして、難聴と発達遅延が主な症状として診断されました。生涯に渡って医療的ケアも必要になる可能性を示唆された上での難聴発覚。ショックはあまり感じず、「大きな声で話せば聞こえるのか。まぁ補聴器を使えば大丈夫でしょう!」くらいにのんびり構えていました。それは全くの無知による楽観視でした。

私の中での変化~ろう学校を訪れて

 生後5ヶ月になる頃、病院のSTさんより、最寄りのろう学校の見学を勧められました。当時の私の心境を書きます。
 「少し聴こえにくい程度で、補聴器も付けるし生活に支障はないだろう。選択肢としてろう学校も視野に入るが、来年度は姉と一緒の保育園に通うだろうし、ゆくゆくは普通級に進学することになるだろう。手話は必要なのだろうか?知識として知っておくのはいいかもしれない。いまどきは口話を習得して、手話はあまり覚えないと聞いたことがあるような・・・。」
 それまで、首が座るのも遅く、寝返りもしないわが子の発達ばかりに目を向け、難聴についての情報収集はほとんどしていませんでした。あまりに貧弱な知識、イメージのまま、生後5か月になったわが子を連れて、ろう学校を訪れたのです。

 そこで私が受けた衝撃は、まさしくカルチャーショックでした。ろう教育の歴史と、ろう学校の取り組みについて知ると、話を聞きながら涙がこみ上げてきました。悲観からの涙ではなく、あまりに知らないことが多すぎたことにです。なぜ知ろうとしなかったのか。思い込みで思考をストップさせていた自分への憤りを感じました。それと同時に、授業の様子、生徒や校内の雰囲気を伺い知れて、学校に対する安心と信頼感を持てたことは、私の中で大きかったです。

私が学んだこと

 そこから私が取り組んだことは、軽度・中等度難聴サポートブック『新版・きこえにくいお子さんのために』を購読し、難聴児本人や親を取り巻く現実を知ることでした(この本は、私のように「難聴」を知らない親にとって、必読の内容でした。日常でどんな事が起こり得るのか。難聴者本人や親御さんの実体験から、綺麗事で済まされない現実が見えてきました。「中途半端に聞こえるより、全く聞こえない方がいい。」難聴者の方が、自分の母親に伝えた言葉です。「難聴」ならではの苦労や葛藤がそこにありました。難聴診断された親御さんの手元に、すぐに渡るよう、この冊子は関連機関などで広く紹介して欲しいです)。
 そして、どんなに軽い難聴でも手話は必要と知り、指文字を皮切りに、手話を学び始めました。NHKの手話番組を視聴したり、DVD付きの手話入門書籍を購入したり、手話サークルに参加しました。
手話やろう・難聴関連の書籍も読みました。『淋しいのはアンタだけじゃない』という漫画は、感音性難聴について視覚的にわかりやすく、難聴への理解が深まりました。夫や祖父母に伝える際も、私の口から説明するよりも、漫画や文献は有効でした。

 ろう学校で、ろう者や難聴者、その親御さん、当事者の方の声を聞く機会を度々頂けたことは、大変有難く、難聴児の母親としての在り方を学ばせてもらいました。親が絶対的な理解者となり、家庭を安心できる場所にする。聞こえる子の子育てと本質は変わりませんが、より強く認識させられました。また、「1日48時間あっても足りないくらい難聴児の親にはすることがある。」という言葉をネットで目にしたことで、難聴児がことばを獲得するには、いかに家庭での取り組みが大切か改めて痛感し、夫とも相談し、育休を一年延長しました。

私が大事にしてきたこと

子どもとのコミュニケーションで・・

 わが子は60~70㏈の感音性難聴です。呼びかけにも反応するし、音への反応がしっかりありました。「聞こえる」ことと、「理解できる」ことは違うと私自身に何度も言い聞かせが必要でした。多分聞こえているだろうという思い込みに頼らす、本人が理解できているかどうかを常に心に留めるようにしています。
 注目してもらえるよう表情を大袈裟に作ったり、動作を大きくしたり。声を出すときは担当の先生を頭に思い浮かべて、声音やテンションを真似しました。そのうち手話やサインを使って話し掛けると、顔だけでなく、手の動きも見てくれるようになりました。

 わが子が何を考え、何に興味を示しているか観察するようにもしています。失敗談としては玉ねぎの皮むきに挑戦したこと。玉ねぎを触らせて、剥いたらどうなるか、切った断面はどうなっているかを見せようとしました。わが子はヒラヒラした玉ねぎの皮で遊び始め、他の工程には一切興味を示さず、私のしたことは空振りに終わりました。後日、りんごで再挑戦。半分に切った断面を舐めると、甘く美味しいと気がついたようです。一緒に擦り下ろして食べると、もっと欲しいと顔を輝かせました。この美味しいものが、あの赤い丸いのと一緒と強くイメージに刻まれたようです。最初から最後まで、りんごに夢中でした。わが子の興味のあるものを一緒に楽しむ大切さを知った出来事でした。

  わが子が手話を覚えるようになると、つい色々な言葉を教えたくなり、「湯船に入りたい」というサインが出るまで、湯船に入れないというやりとりをしたことがありました。先生に話すと「昔の口話教育を手話でやっているようなもの。」「教えるという意識は捨てた方がよい。」と指摘頂き反省しました。ある時、療育の先生が「『上手』の手話は、どうやるの?」と質問して下さったのですが、私より先にわが子が「上手」の手話をやって見せていました。教えた覚えがなくても、日常のコミュニケーションの中から、わが子はしっかり吸収していました。「ことばはコミュニケーションの中で生まれ育つ」とは、まさしくその通りだと思いました。

 真似っこが上手になると、初めて見せた手話もその場で真似をするようになりました。「表出があるからと言って理解しているわけではない。注意してね。」と先生にアドバイスを頂きました。ある日、「ゼリーを食べる?」と聞くと、嬉しそうに頷くわが子。「どっちのゼリーにする?」と二種類のゼリーを見せて、選ばせようとしました。しかし、またもや嬉しそうにコクリと頷くだけ。日頃、絵本や洋服を選ばせるときに「どっち?」と手話で聞くと、真似して指を動かしていたのですが、その意味までは理解していなかったと気が付きました。表出に一喜一憂するのでなく、重要なのは意味を理解することだと、改めて思いました。

生活・あそび・家族

 わが子は運動面と認知面の成長が月齢と比べるとゆっくりです。一人座りしたのもハイハイをしたのも一歳を過ぎてからでした。運動面の発達を促すため、療育施設にも通い、理学療法士さんのリハビリ指導を受けてきました。「ことばの発達には身体の発達、成長が土台となる。」先生方から教わったその言葉通りに、一人座りが出来るようになった頃、指差しが始まりました。そんなある日、いつも通り「おはよう」と手話で話しかけると、両手の人差し指をまげて「おはよう」を返してくれた日の喜びは忘れられません。挨拶の手話は皆に喜ばれ、同じように挨拶を返してもらえるので、子ども自身が療育先や町中でも積極的に使うようになりました。手話を通してコミュニケーションの「喜び」「楽しさ」を知ったわが子。しだいに自分の思いを手話で教えてくれる場面が増えてきました。
 なかなか寝返りしなかった頃など、手話で話しかけても、返してくれる日はいつか来るのだろうかと、内心不安に思っていた時期もありました。発達がゆっくりでも、身体とこころの成長を焦らず見守ろうと思います。また、ろう学校や療育のグループ活動で習った手遊びや歌は、家で一緒に繰り返し遊んでいます。振り付けを覚えると、楽しく活動に参加出来るようになりました。自分から手遊びの動きをしながら、一緒にやろうと誘ってくるようにもなりました。そんな時は、家事の最中でも手を止めて、一緒に手遊びを楽しみました

 わが子の生活に欠かせない存在は二歳上の姉です。姉からも多くの影響を受けています。姉を真似て、滑り台を頭から滑り降りたり、押し入れに這い上がる活発な面も見られるようになりました。おままごとでは赤ちゃん役だったのが、今では自分がお母さん役となりお人形にご飯を食べさせたり、オムツを替えたりする様子が見られるようになりました。

これから

 もっと出来ることがあるはずなのに、思うように出来ない自分自身への焦りとジレンマばかりで、胸を張って「努力した」と言えることがないのが正直な感想です。先輩ママや、お友達のママ達の頑張りに影響を受けて、自分も頑張ろうと奮い立たせてきました。そういう意味では、ろう学校や療育施設に通い続けたことが、努力したと言えるかもしれません。
 育休を2年取りましたが、生活の事情で今年の4月に復帰しました。当面はろう学校と、運動のリハビリ施設に週2~3回通いながら、仕事と両立していく予定です。午前中に保育園に行き、昼寝の時間を確保出来ないまま、午後にリハビリを受ける日もあります。ことばの育ちのために、親子で過ごす時間が減ることに懸念がありますが、現状はこの方法で精一杯です。次女の体調・精神的負担や、発達の状況を見ながら、この先のことを考えていきたいと思います。

参考資料

☆(*1) 聾学校乳相調査(重複障害児9名)からわかった手話の獲得について

☆『新版きこえにくいお子さんのために』全国早期支援研究協議会 A5版 1,000円https://nanchosien.blog/hard-to-hear/#hard-to-hear

★『寂しいのはアンタだけじゃない』1~3 吉本浩二 小学館発行 

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