「声でのおしゃべりは楽しいけれど、気が抜けない緊張の連続」~臨床心理士若狭妙子さんの講演より

当事者・本人(メッセージ・体験談・作文)
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今回は、子どもの頃は40dBの軽度難聴、少しずつ聴力が悪化し、現在は60dBの中等度難聴という若狭妙子さん(臨床心理士)の講演から、子どもの頃どんな様子だったのか、講演記録から主催者の許可を得て紹介します。
 この講演は、コロナ前の2019年に、福島県の「きこえ子育てサークルもいもい」で行われたものですが、若狭さんの体験談は、『新版・きこえにくいお子さんのために』にも、若狭さんのお母さんの手記と共に掲載されています。以下、講演の中から抜粋された内容を紹介しつつ、そこに私なりに補足のコメントをつけてみたいと思います。「*」以下が木島の感想・コメントです。

講演より抜粋

「大人になって思い出してみれば、他の子どもがいつも聞いていること(周りの大人たちの雑談や友達の思い、意見のぶつかり合いなど)を、私はずっと聞き落としてきたと思う。会話を無意識のうちにきくことによって心理が発達するし、社会性が育つのだと思う。」

 *きこえる人は、周囲がどんなに騒がしい場でも、自分のことであったり、関心をもっていることについては、瞬時に聞き取ることができます(「カクテルパーティー効果」)。 
 また、別のことをやっていながら周りの人の話をそれとなく「聞きかじったり」「小耳にはさんだり」できます。こうした、意図しない「偶発的学習」によってきこえる人はさまざまな知識を得ていますが、きこえない・きこえにくい人はこうした耳からの自然な学習が困難で、話者に向かって意識を向け、集中して、初めて「聴き取る」ことができますそばにいてなんとなく「聞いちゃった」という聴者とは違うのです。ですから真面目にきこうとすればその分疲労も大きくなるのは当然でしょう。しかし、そこにもし手話がついていれば、きこえない人はもっとラクに会話ができることは間違いありません。
 さらにまた、若狭さんが言うように「会話を無意識のうちにきくことで心理が発達し社会性が育つ」というのは、まさにそうした自然の会話の中で「あの人はこう思っているんだ」といった他人の心を想像する力も育つということです(「認知的共感」)。それが難しいきこえない・きこえにくい子どもたちの「心の理論」の発達は遅れが出ても不思議ではないということになるでしょう。どのようにこのハンディをクリアするかが今後の大きな子育て支援の課題なのだと思います。

ごっこあそびのやりとりや、友達が決めるルールの意味がよくわからず、めまぐるしく変わる遊びについていけなかった。

*友達同士の会話を「聞きかじる」ことができないので、何をどうすればよいのかよくわからない。なんとなく周りの動きを見ながら「こういうことなのかなあ」と推測で動くことが多かったのでしょう。ルールが途中で突然変更になっても、それもききとれないからわからない。いつも集団の遊びの中では「味噌っかす」状態だったのでしょう。もし、周りの友達が若狭さんのきこえなさについて理解できていれば、面と向かって、身振り手振りで話したり、時にはメモ帳に書いたりして、伝わったことが確認できてから次の行動に移るということができたかもしれません。

「初対面の人の名前は音ではよく聞き取れないので、空書して覚える。音楽は、メロディを楽譜で見ると正確にわかる。英語のリスニングは免除してもらいペーパー試験に変えた。英単語も音よりつづりで覚え、英会話も筆談のほうが良い(ある程度は会話も聞き取れる)。音の方向はよくわからない。」

*中学くらいになって、自分なりに学習の工夫ができるようになったようです。その時の工夫の仕方の特徴は「視覚的手段の活用」。どんなに軽度でもこうした視覚的な補助手段が必要なのだということでしょう。

「難聴学級に通っていたが、通えば耳の聞こえがよくなると思っていた。難聴の友だち同士が一番話が通じなかった。聞き取るのをがんばることが、ほめられることだった。無意識のうちにきこえる方がよいことと思っていた。」

*若狭さんの子ども時代(90年代)は聴覚口話法中心で、手話が少しずつ聴覚障害教育の中で使われるようになってきた頃です。「きこえることはよいこと」という価値観が無意識のうちにあり、誰もそれを疑わなかった時代です(今でもそれは根強くありますが)。こうした雰囲気の中では、悪いのは「ききとれない自分」であり、がんばって「きき取れる」ようになることがきこえない・きこえにくい子どもの目標になっていきます。
 その結果、きこえない人同士でも耳と口だけで会話をする、ということになり、結果的に「難聴の友達がいちばん話が通じなかった」ということなのだと思います。難聴学級に通級して難聴の友達同士で話が通じない、という不思議な世界。しかし、誰もそれを疑問に思わないという無意識のきこえの価値観に、誰もが拘束されていた時代だったということでしょう。

大学生の時にアルバイト(料亭のお運びさん)を始めたが、次々と指示が飛び、とてもマニュアル通りにいかない。今まで教科書を読んでいれば勉強はできたが、それが通用しない世界だった。一生懸命さを見せれば何とか人並みにこなせるだろうと思っていたが、2年間大変だった。ここまで一人でやってきたんだというプライドと、これまでも一人で抱えて人に弱さを見せられず、「辛い」と言えなかった。1年たって、入ってきた後輩のほうが先に仕事ができるのを目の当たりにした。自分の能力の限界ではなく、きこえの限界なのだとやっとわかった。」

*「一生懸命さを見せれば・・」どんなにつらくても誠意と努力を積み重ねれば相手にわかってもらえるはず、ふつうに仕事できるはずと思っての2年間。しかし、できないことがある。それに気づいた辛いけれど貴重な2年間だったのだと思います。「自分の能力の限界ではなく、きこえの限界」すなわちどんなに一生懸命努力してもそれでもなおできないことがある、それが自分が生まれて以来持ち続けてきた「障害」なんだと気づいたときの衝撃。なんとはなしに「きこえる世界」で生きてきた自分が、決して「きこえる世界」の住人ではないことにこの時初めて気づいた。では、自分は何者なのか? その答えを見出すまでにはまだもう少し時間が必要だったようです。

「手話では十分に深い話はできないのでは?と偏見を持っていたが、そんなことはないと二十歳のときに知った。手話でコミュニケーションを充分にとってきた人は、社会人として十分に聴者と対等に渡り合っていける力を持っていると気づいた。手話を知ったとき、私はあいまいな世界で20年間生きてきたこと、そのことに気が付かなかったことに初めて気づいた。『あなたに手話は必要だよ』と、早い時期に誰かが言ってくれればもっと有意義な時間があったのでは?と数年間葛藤した。」

 まさに”失われた20年”でしょうか。そこにありのままの自分はいなかったと気づいたとき、後悔と悔しさの念が沸きおこり、取り戻せない20年の歳月を思うと周囲の人たちを悔む気持ちにもなる。そんな自分の中の葛藤を解決し、きこえない自分、手話を使う自分という新たな生き方(Identity)を確立するまでには、なお数年という時間が必要だったようです。

軽中度難聴児(含人工内耳装用児)の自己肯定感を育てるために

 若狭さんの場合は手話にたどり着き、結果的に「きこえない立場」としての自分を確立していくわけですが、一般的にきこえて喋れる軽中度難聴児には、医療関係者だけでなく教育関係者を含め「手話が必要」と思わないのが現実です。そして「きこえているから大丈夫」という「励まし」の中で懸命に努力したとしてもそれで決して満足なコミュニケーションができるわけではありません。 
 今、こうした「そこそこきこえているけれど100%わかるコミュニケーションは出来ていない」子どもたちが、人工内耳装用の子の増加の影響で増えてきていますが、その子らの多くは普通小学校に通い、手話も聾者も知らず、聴児との会話だけでなく、難聴児同士の会話でも音声を用いて会話していますから、100%わかるコミュニケーションは出来ていないと言ってよいでしょう。そのような子どもたちに、「今困っていることは?」と尋ねても「別に・・」「大丈夫」「とくにない」と応える子らが多いです。そのような子たちが自己肯定感をもち、「自分は自分のままでいい」と思えるようになるために、手話なくしてそれは可能なのか? 若狭さんの例は、逆にそうした問題を提起しいるように思います。ぜひ、皆様のご意見・ご感想を聞かせていただけたらと思います。

参考になるブログ・書籍

☆きこえ子育てサークルもいもい https://ameblo.jp/moimoi-fukushima/  
 このブログに掲載されている難聴者本人の体験談はとても読みごたえがあります。ぜひ、ご一読を。

★『新版・きこえにくいお子さんのために』 全国早期支援研究協議会編 1,000円https://nanchosien.blog/hard-to-hear/#hard-yo-hear

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