はじめに
前回、聾学校小6年A児の文法指導の実践が聾学校自立活動担当の先生から報告されました(記事「厳しい日本語力の小6児童はどうやって変わったのか?」参照)。
https://nanchosien.blog/6th-grade-elementary-scool/#
A君(ここからはA君とします)は、小6の2学期が始まる頃までは、非常に厳しい日本語力の児童でした。そのため本人も自信がなく、勉強そのものを「楽しい」と思ったことはありませんでした。
しかし、10月からの集中的な日本語指導とくに文法を中心とした指導によって、だんだんと日本語のしくみや書かれていることの意味が「わかる」ようになっていきました。「わかる!」ということは楽しいことです。楽しいことは誰でも「もっとやりたい」と思います。A君はどんどん、日本語に、そして「考えること」に自分から積極的に挑戦するようになっていきました。ただ、その時はまだ指導の結果について、客観的な検査での検証はなされていませんでした。
その後、学期末に①Jcoss(日本語理解テスト)、②助詞テスト、③比較3問題の3つの検査が実施されました。その結果から私(木島)が思ったことを率直に書いてみたいと思います。
A君の日本語力・思考力は本当に伸びたのか?
A君の日本語の力や抽象的な思考をする力は、ほんとうに伸びたのでしょうか? 教師の主観的な判断だけでなく、客観的な検査によって調べてみることも必要です。そこで、②学期末に3つの検査が実施されました。①Jcoss(日本語理解テスト)、②助詞テスト(Ⅲ型)、③比較3問題の3つです。
Jcossおよび助詞テストについて
小4~小6年1学期までの検査結果について
Jcossは、20項目の文法事項について日本語の文法的な面での理解力を測定する検査です。ここでは検査の詳細は省略しますが、標準化された検査なので、学齢によって、例えば、聴児年長なら9~10項目の全問正答の項目がある(「通過」といいます)、聴児小1なら10~11項目くらいある(通過する)ということがわかっています。
では、この検査でA君は、何項目通過(全問正解の項目数)していたのかというと、地域の小学校から転校してきた小4年のはじめは7項目通過でした(図1参照)。数字上は聴児年長以下ということになります。相当厳しい日本語力だったということがわかります。聾学校に転校してきて、その1年後(小5始め)が8項目通過、2年後(小6始め)が9項目通過。聾学校に転校してきても思ったほど伸びてはいませんでした。
一方で「助詞テスト」はどうだったでしょうか? こちらも、それほど大きな伸びはみられません(図1参照)。 小5年の4月時点で100点満点中29点。助詞が全く理解できていないことがわかります。助詞がわからないと文の意味も論理的な思考も困難です。ただ、1年後の小6の初めには46点まで上昇していますから、少しわかる部分も出てきたようです。ただ、教科書を読んで理解するにはまだまだ難しい段階です。
小6年2学期・3か月間の指導後の検査結果(12月)について
2学期に集中的に文法指導を実施。その結果、Jcossは、小6初めの9項目通過(年長レベル)から一気に17項目通過まで伸びました。また、助詞も49点から78点まで30点近く上昇しています(図1参照)。
では、この現在の到達点は、どのような意味をもっているのでしょうか?
図1に示してあるように、Jcossの通過目標ラインは18項目です(図1)。17項目というラインはほぼほぼ高学年ラインです。もう一つの折れ線グラフ(図2)のほうをみていただくとわかりますが、Jcossは問題数が限られているため小4年以降の高学年では17~18項目あたりまでで数値がプラトー(高原状態)になります。図の水色の線は聴児の学年別通過項目数です(図2)。これをみると小4~6年はほぼ17項目通過あたりで止まっています。このレベルが、教科書を読むために必要な文法力のレベルで、A君は17項目まで到達したわけです。もちろん、教科書を読んで理解するためには、語彙知識や一般的知識も必要ですから、文法以外の面での課題はまだまだ残っています。
次に、このグラフの赤い線を見て下さい(図2)。これは、ある公立聾学校で小・中・高と学び、高等部卒業後に大学に進学した子どもたち(直近6年間23/50名中)の幼稚部・小学部時代のJcoss平均通過項目数です。これをみると、幼稚部の3年間は聴児の平均をかなり下回っていますが、小学部以降にだんだんと差が縮まり、小5,6年では数値が逆転しています。因みにA君は今回このラインに到達していますから、大学進学した児童と同じレベルに達したということになります。今回の記事のタイトルは「A君、大学進学を目指してみないか?」ですが、大学進学を勧める一つ目の根拠がこの数値です。
「比較3問題」の結果から
この検査は、3つの問題からなっています(図3)。詳細は省きますが、難聴児はけっこう苦手な検査です。その要因はいくつかあって、認知的には、①3つ以上のものを同時に比較することができる(「推移律」)、②見かけに影響されないで思考することができる(「保存の概念」)、③「もし~なら・・」といった仮定推論の思考ができるなどがの思考ができる力が必要です。また、日本語の面では、とくに、④助詞「より」の意味・働きについて理解している必要があります。こういった条件がクリアできていないと解けない問題なので、高等部の生徒でも、問題2まで正答できる生徒は5割程度、問題3まですなわち全問正答できる生徒は4割くらいです。とくに問題3は、抽象的・論理的な思考ができないと解けない問題なので、この問題が正解できれば、いわゆる「9歳の壁」を越える思考力があると考えてよいと思います。図4は、私が実施した全国の聾学校小・中・高等部の児童・生徒の結果です。
ちなみに大学進学者の小6時点での結果をみると、全問正答できていた者は3分の2でした(図5右)。では、A君はどうかというと、A君は見事3問全問正答でした。これが、A君に大学進学を勧める二つ目の根拠です。
まとめ~なぜ、A君に大学進学を勧めるか?
大学に行くということは、本人にその意思があり、大学で何をしたいのかが定まっている必要があります。小6ではまだまだそこまで考える必要もないといえばそうなのですが、私はむしろ周囲の先生方や保護者の方に、その選択肢もあり得るということを知っていただきたいと思っています。
聾学校高等部では、学校として生徒に大学進学を勧めることにあまり熱心ではなく、聞こえない子は聾学校を出たら就職するもの、と信じて疑わない先生方は多いです。もちろん、聴覚障害者に理解のある企業に就職でき、本人が活き活きと仕事できるのであれば大変よいことだと思います。しかし、現実はそう甘くはなく、聞こえない人と一緒に働く上でのコミュニケーション上の問題や仕事内容の問題など、企業側や聴者側の問題も多く、そのために、就職しても離職してしまう聴覚障害者は多いです(図6)。因みに聴覚障害者の離職率は非常に高いです。
仕事をする上での聴者側の問題の一つは、法定雇用率を達成するために、消極的に聴覚障害者を採用するといった会社の場合です。こういう企業では仕事も聴者の補助的な仕事が多く、賃金の向上やキャリアアップにもつながりにくいです。同じ仕事をする上での聴者側の配慮の意識も低く、情報保障が必要などという意味もなかなかわかってもらえないことも多いです。
その点、大学で身につけた「専門性」で、採用試験を受け就職する場合は、聴覚障害者だからというより、専門的力量があるかどうかがまず問われます。また、仕事をする上で不可欠な書記日本語力と思考力がないと、聴者の中にはばかにする人も多いですが(図6)、そんな点からも私は、きこえない子も大学に行って勉強し、「専門性」を身につけること、書記日本語力と論理的思考力を身につけること、幅広い語彙力と知識を身につけることを勧めたいと思います。
A君のご両親・ご家族の方、A君に関わる聾学校の先生方、A君は、今、日本語の土台となる力が少しずつ身についてきています。また、本人も勉強することへの意欲が出てきています。A君の6年先、18歳の時の選択肢として、大学進学は決して無理なことではないと、私は、過去、大学に行った何十人かの子どもたちのデータから断言できます。A君のような子どもは全国にまだまだたくさんいると思います。あきらめないでがんばってほしいといつも思っています。以下は、大学に進学した23名の大学です。参考までに。
★国公立大学(11名)
筑波大学、筑波技術大学(6名)、群馬大学、東京学芸大学、県立長野大学、東京都立大学
☆私立大学(12名)
東洋大学(2名)、昭和女子大学(2名)、津田塾大学、東京都市大学、嘉悦大学、東海大学、亜細亜大学、
明治学院大学、武蔵大学、日本大学
参考になる記事
☆『厳しい日本語力の小6児童はどうやって変わったのか?~文法指導「位置詞」の実践から見えてくる子どもの成長』
★『J.coss~結果の見方と指導の方法』
☆『比較3問題』