手話からスタートした難聴児は1歳半から2歳頃に、述部を構成する動詞や形容詞の語彙を獲得し文を構成する統語構造を身につけて二語文が生成できるようになります。その認知的基盤になっているのが二つのことを関係づける力の発達と考えられますが、このような力が発達してくると、手話と日本語という性質の異なる二つの言語を関係づけ、音声や指文字・文字といった記号を媒介しつつ日本語(language)を身に着け始めます。今回はそのプロセスについて考えてみたいと思います。
上のファイルの事例は1歳児が壁に貼ってある指文字表に関心を示している様子です。この段階の子どもはまだ手話の獲得過程であり、手話という一言語が獲得されている段階ですから日本語の音韻が理解できているわけではありません。 しかし、手話を習得し、また周囲が音声言語や指文字などを併用している家庭の幼児は、手話とは別の記号(ここでは日本語の音声や指文字・文字)で、手話が指し示す同じ内容を表現することができることに次第に気づくようになります。ただその過程は、聴覚活用ができて音声入力が可能な軽中度難聴や人工内耳装用の子どもと、聴覚活用が難しく指文字・文字といった視覚的記号が中心となる子どもとは日本語の習得プロセスが少し異なります。以下、それぞれについてみてみます。
聴覚活用タイプの子どもたちの日本語獲得プロセス
聴覚活用がある程度できる軽中度や人工内耳装用の子どもたちは、手話とは別に、耳から入ってくる音声が意味を持っていることにだんだんと気づくようになります。それら音声での単語は、手話とは関係なく音声語として獲得される語(事例J児の固有名詞など)もありますが、多くは手話と結びついて獲得されます。
ただ、上の図のStep1やStep2の段階ではまだ音声語の音韻が明確に弁別されているわけではなく、次のStep3で指文字や文字を習得して初めて単語の音韻を100%区別できる視覚的で確実な手段が獲得されたことになります。繰り返しになりますが日本語の習得が始まった頃の音声はあくまで音の塊であり、日本語として語を獲得するためには、100%音韻を区別できる手段が必要(ソシュール1916)です。下の事例A児(聴力70dB)が、「かわる」は「ラタル」ではなく「カワル」であることを知るためには、100%音韻の弁別可能な指文字や文字が必要であることに留意が必要です。
指文字・文字タイプの子どもたちの日本語獲得プロセス
手話からスタートした子たちも二つのものごとの関係について考えられるようになると、手話で表される単語が、もう一つ別の符号(指文字・文字日本語)でも表せることに気づいてきます。「同じ意味をもつ別のことば」が手話と日本語という言語の違いを超えて存在し、それらを互いに関係づけられるようになるわけです。
事例M児は2歳3か月(90dB)です。M児はデフファイミリーで、すでに「うさぎ」の手話は獲得しています。ママはM児に指文字で日本語を教えたいと思い、テレビ番組の中で興味を示したうさぎに手話だけでなく、「ウ・サ・ギ」と指文字で表示します。その段階では子どもに日本語の「ウサギ」は理解されていません。しかしその後、絵本、あそび、うさぎの絵などに触れるたびに「ウ・サ・ギ」と手話と指文字での表現を繰り返していたところ、M児は指文字「ウサギ」が手話での「うさぎ」と同じ意味をもつということに気づいたわけです。このようにして手話からスタートした子も2~3歳の頃に日本語を獲得し始めます。
日本語獲得のための配慮と工夫
以上、手話からスタートして日本語がどのように獲得されていくかそのプロセスについて紹介しましたが、日本語の獲得において大事なことは、一日のうちでどれだけ日本語に触れるチャンスがあるかというその頻度です。その点、日常生活の中で、手話と音声言語を同時に使って会話している軽中度難聴や人工内耳の子は、必然的に日本語を見たり聞いたりし(但し難聴児は周囲の人の会話を「聞きかじる」ことは出来ないので対面で丁寧な会話が必要)、自分でも日本語を話す機会が増えるので日本語獲得のチャンスはその分多いでしょう。
その一方で、聴力的に厳しい文字・指文字中心に日本語獲得していく子どもたちは、大人との関わりの中で、日本語を「見せ」「使う」機会がどれだけ増やせるかがポイントになります。
ここでとりあげた各事例の保護者は、聴力の厳しい子どもも3歳前後には手話の会話だけでなく指文字を使って日本語の習得を意識しているようです。このように日常会話の中で指文字・文字を使って日本語に触れる機会を増やすこと、また絵日記、ことば絵じてん、メモ帳、絵本、ことばあそび、各種ワークなど子どもの興味関心を引き出しながら、さまざまな教材・言語活動を通して、楽しみながら日本語に触れる機会を増やす工夫をすることが大切ではないかと思います。