今回は第17回全国聾学校作文コンクールで銀賞を受賞した難聴高校生の作文を紹介したいと思います。この高校生・伊〇匠〇君は、都立ろう学校で乳幼児相談から小学部まで12年間通い、中学部からT大学附属聴覚特別支援学校に入学。現在高校2年生です。2年前の中学3年生のときに、全国早期支援研究協議会から出版された『手話で育つ豊かな世界』に手記を掲載したことがきっかけで、それまでの自分がどのように育ってきたのか、改めて見つめ直す機会となりました。それから2年の月日を経て改めて自分の育ちを見つめ直し、さらに自分が受けてきた教育そのものについて考えることへと思考を深めたようです。そして将来は大学に進学し当事者研究の道へ進みたいと考えているそうです。以下、作文を紹介します。
障害の肯定 T大学附属聴覚特別支援学校高等部2年 伊〇匠〇
聴こえない子どもの90%は私のように聞こえる親から生まれてくると言われている。私が中学三年生の時、聴覚障害者の立場からの聴覚障害に関する寄稿を、ある協議会から依頼された(注・前述『手話で育つ豊かな世界』)。それまでは、自分の聴覚障害を「生まれながらの聴こえにくさ」として漠然と受け入れてきていたが、この寄稿を機に自分の障害と真正面から向き合う経験をした。
聴覚障害を持つ当事者として、生まれてから今に至るまでの自分を描こうと思い、母の育児日記を読んだ。そこには、聴こえないことが分かってからすぐに通い始めた乳幼児相談での三年間が記されていた。乳幼児期のことは覚えていないが、何か懐かしい感じがした。しかし、そこには「どう育てればよいのかわからない」という母の不安な気持ちが記されており、私は複雑な気持ちになった。なぜなら、私を子に持った両親が悩み、不安でいっぱいになり、周囲のサポートを必要としていたのに対し、私は今日まで不安とは無縁の楽しい毎日を過ごしてきていたからだ。
母に当時のことを聞いたところ、
「乳幼児相談での三年間というのは、先生方や成人の聴覚障害者との出会いだけでなく、同じ障害を持つ子供の親として仲間と出会い、一緒に子供たちの成長を見守った有意義な時間だった。そして成人の聴覚障害者の方々との関わりの中で、親である自分自身の聴覚障害に対する価値観が変わり、我が子の障害を否定することなく育てていく土台ができた三年間だった。」と語った。
母の話を聞いて、私自身が自分の障害を肯定的に捉え、成長することができているのはこの乳幼児相談の時から今日まで、自分の障害を近しい人たちが否定しないでいてくれたことが大きく関係しているのだろう、と思った。現に私は自分の障害を悪いものなどと思っていない。それどころか、自分の障害を健常者として生まれ、生きていたら出会うことすらなかっただろう世界の扉を開いてくれたものであり、自分の個性でもあるという風に肯定的に受け止められている。
また、日記一つをとってみても、母が私のためにいろいろな配慮をしてくれていたことがすぐにわかる。例えば、手描きの絵を多く描いている上に、文中の助詞に色を付けてくれている。しかもこれを毎日やってくれていたのだ。母のこの配慮のおかげで、それなりに日本語力を身に着けられ、「聴覚障害者じゃなければなあ」なんて思うこともなく過ごせているのかもしれない。他にも私の知らないところで配慮のお願いをしてくれていた。このように母をはじめ、周りの人に支えられてきていたことを強く実感した。同時に、自分の障害を自分の周囲の人たちの支えと関連付けて見直すきっかけになった。
高等部一年生の冬、筑波大学主催の共生シンポジウムというものに参加した。これは筑波大学の附属十一校が共生社会を目指して交流するというものであり、我々附属聾学校は「聴覚障害について」「コロナ禍での工夫など」の二つを軸として発表をした。聴覚以外の視覚、肢体、知的などの障害についてのリアルを知れたり、健常者の障害に対する捉え方を知れたりと、とても有意義な時間だった。
そして、発表までの過程で、どんなことを発表しようか附属聾の参加メンバーで話していた時に「一口に聴覚障害といっても、一人一人、聴こえにくさの程度は違うし、求めている配慮も違うから、それを伝えるのもいいんじゃない」という声が上がり、私ははっとした。今までの自分は、聴覚障害はみんな同じようなものでさしたる違いはないと思っていたが、そうではなかったのだ。確かに一人一人聴こえ方にも発声にも違いがある。そんなことも発信していかなければわかってもらえないだろう。ここでも自分の、自分たちの障害について見つめ直させられた。
私は将来、聴覚障害の当事者として様々なことを発信できる研究者になりたい。当事者の視点を生かし、健聴者と聴覚障害者の間をより強固に結ぶ架け橋になれたらいいと思う。それから、乳幼児相談という場所は子供にとって人と関わる能力の発達を支援する場所であること、そして親にとっては、あるがままの我が子を大切に想い、障害を受け入れるために必要な場所であるということも広めていきたい。そうすることで障害に対して肯定的に生きていける人を一人でも増やせたらいいなと思う。そして障害を肯定的に捉えられるようになるには、当事者と周りの人、どちらかの意識でも欠けていたら難しい。当事者と周りの人の力が合わさって、やっと肯定的に受け入れられるようになるのだと思う。そのために力を尽くしたい。
個人的な感想
以上が作文の全文です。彼は自分自身を振り返る中で、自己肯定感をもって育つことの大切さを実感し、そのルーツを探っていく中で、最初の支援の場であったろう学校乳幼児相談に辿り着き、「私自身が自分の障害を肯定的に捉え、成長することができているのはこの乳幼児相談の時から今日まで、自分の障害を近しい人たちが否定しないでいてくれたことが大きく関係しているのだろう、と思った」と述べています。そして、「乳幼児相談とは、子どもにとって人と関わる能力の発達を支援する場所であること、そして親にとっては、あるがままのわが子を大切に思い、障害を受け入れるために必要な場所」と、明快に語っています。
子どものあるがままを受けとめ、手話も日本語も大切に育てることをめざしてきたろう学校乳幼児相談のこれまでの支援の実績を振り返りながら、ろう学校の乳幼児相談や支援の方向性はこれでよかったのだと改めて思う作文でした。そして、わが国の当事者研究の分野はまだまだこれからの分野。ぜひ、そうした分野も切り開いていってほしいと思います。(木島記)
参考になる書籍
☆「母の手記を読んで」『手話で育つ豊かな世界』 全国早期支援研究協議会発行 2020年
https://nanchosien.blog/rich-world-sign-language/#rich-world