障害をあわせもつ子どもたちも、聾学校の乳幼児相談に通う過程でそれぞれに成長していく様子がみられます。今回はダウン症を併せもつ二つの事例を紹介します。最初の事例は1歳2か月でまだ手話が獲得できていないダウン症の幼児、2例目は手話獲得が始まっている1歳8か月の幼児です。親御さんが本当に丁寧にかかわっておられる様子がよくわかります。以下、保護者の手記から。
「ゆっくりだけど心豊かに育ってほしいわが子」(1歳2か月)
現在1歳2か月のダウン症児で、両耳難聴以外は主な合併症はありません。他のお子さんに比べて成長がゆっくりで、まだお座りやハイハイなどできない段階です。新生児スクリーニングで2回リファーとなり、病院で精密検査を受けた結果、両耳が90~100㏈、4カ月頃に重度両側難聴と診断されました。補聴器はその頃から装用。毎日ではありませんが本人が嫌がらない限り装用するようにしています。
生後4か月を過ぎた頃、病院の先生から 「早い段階でろう学校に通うことをお勧めします」 と言われ、あるろう学校のパンフレットをいただきました。当時、私は耳のこともろう学校のことも知識がなく、こんな早い段階で学校に通うの?と疑問に思ったことを今でも覚えています。ろう学校=本人が学ぶ場所だと思い込んでいた私は初回電話で担当の先生に 「まだ4カ月ですけど、この子は何をやるんですか?手話とか分かるんですか?」 と今考えると恥ずかしい発言をし、先生はきっぱりと 「違います、お母さん達が学ぶ場所ですよ!」 と私の誤解を正してくださいました。そこから初回面談をおこない、先生のお話を聴いて内容が良かったことや雰囲気も気に入ったため、生後5カ月過ぎからひよこ組に通うことになりました。
子どもとのコミュニケーションで大事にしてきたこと
先生方や講師の方々に教わったことを取り入れて実践していきました。まず子どもの視界に入ること、視線を合わせること、目をしっかり見ることです。目が合ってから、話しかけたり手話を使用するようにしています。そして”大好きだよ”と伝え、たくさん抱きしめてスキンシップを大切にしています。特に子どもは知能の発達もゆうくりなため、大げさなかと思うくらいぎゅっと抱きしめ、世界で一番”大好き・愛しているよ”と感じてもらえるよう大切に思っていることを伝えています。
また、子どもが好きそうだな、興味ありそうだなというものを見つけ出すことも大切にしています。例えば、いないいないばあで笑ってくれたら、時間と体力が許す限りできるだけおこないます。振動を感じる遊びも好きみたいなのでタオルに包んでブランコをしたり、足に乗せてガタンコトンと揺らして遊んでいます。その時は私自身も全力で笑い、子どもが声を出して笑っていたら 「楽しいね。〇〇好きだね。」 と代弁するようにしています。
日頃から、目が合ったら基本的には笑顔で接するようにしています。ですが髪の毛を引っ張られて痛い時などは、”髪の毛引っ張ったら痛いよ”と手話をして、悲しい顔を見せます。その時の状況によって子どもに分かりやすく表情を変えることもあります。
子どもとの生活習慣で大事にしてきたこと
初回面談で先生から教えていただいた、規則正しい生活を送ることです。難しいですが、起床時間、就寝時間、食事やお風呂などなるべく同じ時間帯になるよう心がけています。そして、おはよう・おやすみ・いただきます・ごちそう様などの挨拶は必ず手話を使用して伝えています。
また、できる限り行動の前に今からやることを見せるようにしています。例えばミルクを飲ませる時は、ミルクのサインをして殻の哺乳瓶とミルク、お湯などを見せてから”待ってね”と手話をして作る工程を見せるようにしています。飲み終わったら殻になった哺乳瓶を見せて”終わり”と手話をします。最初は泣いて全然見てくれないことも多かったですが、何度も繰り返しおこなうとじっと見てくれて泣きも少しおさまることもありました。オムツを交換する時も同様にまず”オムツ交換するよ”と手話をして、オムツを見せます。うんちで臭い時は 「くちゃい!」 と鼻をおさえて伝えます。交換後は袋に入れるところも見せて”きれいになったよ、終わり”と手話をします。これも最初の頃と比べると、工程が何となく分かってくれているのか交換時はバタバタしていた足もだいたい静かになっておとなしく交換させてくれるようになりました。
離乳食を食べる時もなるべく実物を見せて触れる物は触れさせるようにしています。最初は怠けて写真カードで済ませていましたが、生活の記録に記載したところ赤ペンで修正が入りました。本人がカードの物を本物ととらえてしまい、実物とつながらないとのことでした。実物を見せて触れさせることの大切さを教えていただき、そこからなるべく見せるようにしています。ただ作る工程を見せるのがまだ難しいので、これからも頑張って見せられるようにしたいと思います。
あと写真カードを活用しています。写真カードは子どもの視界に合わせて、こういう風景に見えているかな?と考えながら作成しています。まだまだ数は少ないですが、これから行く場所を”行く前・途中・着いたら”と3回は見せるようにしています。
自分が努力してきたこと
あまり努力はできたとは思えませんが、生活習慣において、子どもに関わる食事や排泄、入浴時など私が動く前に一息止まることは頑張っていると思います。もし聴こえていたら「ミルクだよ~お風呂入るよ~」で済ませていたかもしれませんが、まずはこっちを見てくれるまで根気強く待つこと!そして目が合ったら、今からやることを手話で話したり物や写真カードを見せたりするなど、焦らず丁寧な関わりを心がけています。まだ手話やサインは出ませんが、子どもはよく見てくれるようになりミルクを飲みたい時は口をチュパチュパしてくれていたりと、わが子なりのサインを出してくれるようになりました。小さなサインを見逃さないようにこれからも観察し接していきたいと思っています。
自分の中での変化
まずはわが子を通して、ろう者・難聴者の世界を知ることができたことに感謝をしています。ダウン症+重度難聴児として、はじめはどうやってコミュニケーションをはかれば良いのか、子どもが思うこと私が伝えたいことは互いに通じ合えるのか不安がありました。しかし、先生方や講師の方々からのお話しやアドバイスをいただいたことや、ひよこ組の仲間たちの頑張りを見ることでその不安も前向きな考えに変わっていっている自分がいました。難聴児でなければここまで丁寧な関わりをすることができなかったかもしれないと今は考えるだけでぞっとします。第一子なので健常児を育てたことはありませんが、もし育てる機会があれば今と同様に視界に入り、目を合わせ、何でも見せてから行動にうつしていきたいと思っています。何事に対しても自分が普通だと思っていたことは普通ではないかもしれない、当たり前ではない、と刺激を受けたとともに良い意味で考えを変えさせていただきました。
聴こえる世界を押し付けないように、でも聴こえる側の世界も教えなければならないとも教わりました。これからも障がいの有無でみるのではなく、その子の強みと弱みに焦点を当て知っていきたいと思います。困難な状況に直面することもあるかもしれませんが、できることをやって前向きに楽しく過ごし、豊かな心に育ってほしいと思います。
「ダウン症の子を育てる中で私が心掛けてきたこと」(1歳8か月)
わが子は今、1才8ヶ月になりました。ろう学校へは5ヶ月の頃から通っています。0歳から1歳代の今日までどんなことに心がけてきたかをお話ししたいと思います。
コミュニケーションで大事にしてきたこと
目を合わせて話しかける事を大切にしてきました。これは心を通わせるために重要なことでした。あとは抱っこしてギューっとします。一日何回もギューっとして大好きな事を伝えて、世界中で1番愛されている事を感じさせてます。それから「いや」「もういい」「きらい」を表現する事を早い段階から教えました。少しわがままに育ってもいいので自分を表現する事、居心地の悪さを主張できる事を優先しました。今では立派に嫌は嫌、うんちはもうでません、これは食べたくないと表現できるようになりました。
生活習慣で大事にしてきたこと
自分でできる事はできる限りやってもらいます。まだまだ小さいのでできる事は少ないですが、オムツを一緒に捨てたり、ご飯の器を下げたり、服や靴下を履く手伝いをしてもらってます。それからミルクを飲ませる時もあら不思議!といきなり目の前に登場させる事はせず、空の哺乳瓶を見せて粉を10杯いれるよ〜、お湯を入れて〜、ふたをして〜、冷ますよ〜と実況中継してきました。ご飯を作るときもこんな調子で作っていたらお豆腐やお米を見て、「食べる」手話をするようになりました。あとはわが子が思っていそうなことを代弁するようにしていました。興味深そうに見ているものや不思議そうに見ているものを、例えば大好きな電車なら長いね大きいね、昨日乗ったね、赤いね、ガタンゴトンだね、揺れるねと思いつくまま広げたりしています。
自分で努力したこと
あまり努力は出来てないですが、しいて言うなら7ヶ月のお座りが出来た頃から自分で100%ご飯を食べてもらってます。それまではあまり意欲的に食べなかったのですが、自分の好きなものを好きな順番で好きなタイミングで食べられることが余程嬉しかった様子で以前より食に興味を持ち食べる量も増えました。私が努力したのはその後片付けくらいです。手話の勉強も努力はしているのですがなかなか上達出来ず歯痒い限りです。
自分の中で変化したこと
産まれてすぐダウン症が疑われその後すぐに両耳リファーと言われました。その時は奈落の底へ落ちた気分でした。不妊治療を何年もしてやっと出来て産まれたこともあり、子ども自体望んではいけなかったのではないかと反省もしました。それから1ヶ月以上は夫と2人だけの秘密にし、私は努めて明るく最高に幸せなフリをしていました。ただ目の前のAは可愛く愛おしく、そう思えば思うほどなんでこんなふうに産んでしまったのかと毎日心の中で謝っていました。1歳半を過ぎた頃からやっと息子を1人の人間として見られるようになりました。すると不思議と「こんなふうに産んでかわいそう」「この子は不幸せ」と思うことが無くなって行きました。○○だから不幸せと言う事が目の前で笑っている子どもには不似合いと感じました。勝手に不幸せと決めるのは失礼、とも思いました。この子はじぶんで幸せになる力を持っている、その力を付ける手助けは幾らでも出来るとも思えました。
親の私にできる事は毎日楽しく笑って、清潔に、美味しいものを食べさせ、趣味を一緒に見つけ、自立を促し、子どもの中の辞書を厚くし、ただ子どもを愛する事と分かりました。これから色々困難は訪れるかも知れませんが、今から不安を抱えて悩むより今想定して出来る限りの事をしたらあとは笑って過ごそう、という様に変わりました。
ろう学校の先生方に出会えなかったら今のような子どもに育てられた事は決してなかったと思っています。人間としての基礎づくりの時期にいろいろとご指導くださり、本当に感謝しています。お陰様で子どもはしっかりと人の顔を見て自分の主張をし、またある時はしっかりと人の顔色を伺っていたずらをするわんぱくに育ちました。
二つの事例から
以上、二つの事例を紹介しましたが、発達の遅れがあってもなくても幼児期からの子どもとの関わりで大切なことは変わりがないこと。子どもの興味・関心をとらえて積極的にかかわり工夫しひろげていくこと。子どもとしっかり目線を合わせてこちらの気持ちも伝える。ときにはオーバーとも思えるアクションでしっかり伝えること。子どもが次の予測ができるように規則正しい生活リズムを作り、しっかりと物事の経過を見せ伝えること、子どもの気持ち・言いたいことを予想しことばで表現してあげることなどです。このような関りの中で、その子なりの発達の中で人との関係がしっかりともてる子どもに成長していくことがわかります。