0歳時に大切なこと

新生児聴覚スクリーニング・乳幼児教育相談
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 聴覚障害という障害のある子どもの0歳での子育てで最も大切なこととはなんでしょうか? 
「聴覚障害という障害をできるだけ軽減するための努力。完全に治すことは無理でも補聴器をつけあるいは人工内耳を装用して可能な限り聴こえを回復すること」。なるほど。それもあると思います。でも、長い人生を考えたとき、本当に大切なことはなんでしょう?
 私は、その子がこれからの長い人生の中で出会う人たちとよい関係を築ける人に育ってほしいなと思います。ですから、まずは、人生で最初に出会うママやパパ、家族と楽しい関係が築けるようなってほしいと思います。そして、これから出会うたくさんの困難やつらいことにも前を向いてそれを解決する努力をする、自己肯定感の高い明るい子に育ってほしいと思います。

 障害があると様々な困難に直面します。偏見に晒され差別に遭遇します。ほぼ100%間違いなくどこかで。そんな人たちともよい関係って築けるのでしょうか? 難しいですよね。それでも相手の人と理解し合えるよう少しずつでも努力できること。相手の人の「心のバリア」を少しでも低くできたらしめたもの。障害の有無や軽重に関わらず、だれもがその存在を認められ自分らしさを発揮できる「共生社会」は、そうやって一歩一歩少しずつ築いていけるような気がします。そんな粘り強い明るい人に育ってくれるには・・・そう、その人間形成の第一歩が0歳から始まるわけですよね。                                        

 今回は、ある聾学校の乳幼児相談に通っておられる保護者の方が、Instagramに投稿された手記を許可を得て掲載させていただきました。掲載に許可をいただけたこと感謝申し上げます。

0歳時に大切なこと

 『でんしゃ』の手話が出ておよそ1カ月。日に日に表出される手話が増えて表現豊かになり、コミュニケーション(以下、コミと省略)が楽しい今日この頃、今日で1歳7カ月になったA子ですが、今日あるこの豊かなコミは、突然なしえたものではなく、0歳の時から土台を築いてきたから。0歳ですべてが決まると言っても過言ではないと思っている。今回の投稿では、0歳の重要性について書いてみようと思う。

 きこえる赤ちゃんは生まれたその日から、たくさんの声をきいている。「ミルク飲もうね」「とか「ママだよー」とか「おむつ替えよう」とか。それを脳に蓄積し、ある日(おおむね1歳前後)口から言葉(日本語)を発するようになる。我が家の聞こえる兄、Bちゃんは、1歳3か月頃くらいの時に初めて、私のことを「カカ」と言った。
 生まれてからずっと話しかけ、語りかけて、『土台』を築いてきたからこそ、彼は言葉を発したのである。

 Aちゃんが聞こえないとわかって確定診断が下りたのは生後4カ月。その時から、手話で語りかけ、目で見てわかるように接してきた。私もパパもB君も覚えたての手話を使って、「お風呂」とか「ミルク」とか「おむつ替えるよ」と話しかけた。目で見てわかるように、哺乳瓶を見せたり、お湯を入れるところを見せたり、おむつを見せたりして話しかけた。くり返し、くり返し・・・。毎日、毎日・・・。
 もちろん赤ちゃん相手にすぐに結果があらわれるはずはなく、覚えたての手話が合っているのかどうかも不安にある。それでも信じて、ていねいに、繰り返し繰り返し続けた。
 だんだんとこちらの手話を理解してくれているような気がしてきて、模倣(まね)が始まり、そしてついに1歳5か月の時、電車を見て「デンシャ」の手話を表出した。繰り返し繰り返しやってきたことが頭の中に蓄積され、それが理解となり、言葉(手話)になって表出された。0歳の時に、ていねいにていねいに、信じてやってきたことが『土台』となって、だからこそ今がある。0歳の1年間がなかったら??と考えると恐ろしくてゾッとする。

 やってきてよかった。間違ってなかった。信じてよかった。続けてよかった。

手話の表出は、一番わかりやすいかたちでそれを感じさせてくれる。うれしいし、かわいいし、0歳の頑張りをほめてくれいている気にもさせてくれる。
 別に頑張ったという実感はなくて、当たり前の毎日を駆け抜けたという感じ。だけどあえて0歳の1年間を『頑張った』と表現することにして、では、なぜ、頑張れたのかを考えてみたいと思う。

ろう学校

 がんばれた理由のほぼすべてがろう学校のおかげだと思う。きこえない子どもの教育方針はたくさんあれど。私は早期に迷うことなく今の道を選ぶことができた。

『聞こえ』をあきらめること
  自分の子どものことに関して、何かをあきらめるというのは簡単なことではない。あきらめるという言葉を使うことすらいやだと思う。そう思うのが親だ。治る病気ならばあきらめずに治したい。そう思うのが親だ。だけど先天性感音難聴は治らない。補聴器をつけても人工内耳をしても、0デシベルにはならない。軽度難聴も重度難聴も、きこえがあいまいで100%ではないことは同じ。
『聞こえるようになることを諦める』・・・強烈だけどストレートなこの言葉。私の心に深く刺さったし考えさせられたけど、その通りだと思えた。かなり早い段階で『聞こえ』にしがみつかなくなれたのは、ろう学校のおかげだ。

 数えきれないくらいたくさんの講演会や、思い出せないくらいたくさんの時間を手話の勉強に割いたこと。学校に行くたびに意見や思いを交わすことのできる懇談会。何よりも、たくさんの仲間がいること。さいわいなことにろう学校の乳幼児相談には、本当にたくさんの同士・仲間・友達がいて、だから頑張れたと思う。

 B君の幼稚園のそれとは比べ物にならないほどつながりの深いママ友、パパ友、先生。この人たちの存在なくしては、0歳の1年間はなかったと思う。ともに考え、学び、たくさん笑って泣いた1年間を過ごさせてくれたし、0歳の重要性を早期に気づかせてくれたのは、何を隠そうろう学校と、そこで出会った人たちのおかげである。

家族

 やっぱこれかな。ろう学校でたくさんの仲間がいても、大半の時間を過ごす家という場所での理解が得られないことには始まらないと思う。幸い我が家のパパはA子ちゃんが生まれた日から2歳になるまでずっと育休で、常に家族一緒にいることができたので、『理解を得る』という次元ではなく、同じ方向性で一緒に頑張ることができたのはかなり大きいと思う。Aちゃんが生まれたときにB君がまだ2歳半だったことも大きい。物心つかないうちに手話を始めることができたから、B君にとっても、とてもよかった。

まとめ

 きこえる、きこえないに関係なく、0歳の1年間というのは、人間関係やコミの土台を築くうえで、と~っても重要。ましてや、きこえる親がきこえない子を育てるんだから、土台がなければ無理だと思う。今日があるのは0歳の1年間のおかげ。そう思いながらこれから先も頑張っていこうと思う。

 ☆以上が、インスタグラムに掲載された手記の全文です。この文章が、聴覚障害のあるお子さんを産んで悲嘆にくれておられるお子さんの保護者の方の目に留まれば幸いです。(木島)

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