心の根を育てるために

新生児聴覚スクリーニング・乳幼児教育相談
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 「親と子は別れるためにいっしょに暮らす」ということばがあります。生まれてからまだ数年しか子育てを経験していないお母さんたちにとっては、子どもと別れる?!とてもイメージできないことばかもしれません。
 聾学校の乳幼児相談に通うお母さん達は、毎日の育児の中で繰り返される抱っこやおんぶにオムツ替え、食べさせなければならない食事、与えなければならない授乳、寝かしつけ・・・と、この時期が一番子供に手をかけている時期ではないかと思います。
 この時期、一日一日が実に早く過ぎるように思うのは、それだけ次々と手をかければならないことが押し寄せる時間の連続だからではないでしょうか。時には、「こんなめんどうなことがいつまで続くのかしら、ああ、早く大きくなればいいのに・・・」そんな風にぼやきながら「早く時間よ過ぎろー」なんて思ってしまうことも多いのが、この時期のお母さん達の本音かもしれません。
 しかし、抱っこしたり、ほおずりしたりしながら子どもと思い切りスキンシップを楽しむひと時を着実に失う方向へ時間は過ぎているのです。0、1歳の時よりは3歳、3歳の時よりは5歳になってからの方が、着実に手をかける時間は減ってきます。先輩のお母さんに、当時自分も言われたように、確かにいつまでも続くわけではないこの時期ならではの「手をかけなければならない子育て」だったということは、過ぎてみればよくわかります。

 難聴児を育てたある先輩ママさんがこのように話していました。
「子どもと一緒に過ごせるのはせいぜい10年。だから、この10年の間は、とにかく子どもと楽しい思い出をたくさん作ろう、子ども中心に生活しようと思った」と。
 先をきちんと見通しての先輩ママのことばはとても印象深いものでした。実際、子どもが喜ぶような遊びや体験を共に楽しむ、子どもの好きな遊び場に連れていく、旅行やキャンプを楽しむ、ということをその家庭では積極的に演出していました。
 しかし、子どもが成長し、高学年とか中学生くらいになると、読んでやりたい絵本を見つけても、ゲームをしたくても、抱きしめたくても・・・やれやれ・・・「気持ち悪い!」といわれて、相手にもしてもらえない時期が確実にやってきました。

 このように、子どもを育て上げてくると、「親と子は別れるためにいっしょに暮らす」ということばがとても心に響きます。親と子の関係は長く続くものでしょうが、共に過ごす期間は予想以上に短い、限られた日々なんだなあということがわかります。自分の子育てを振り返っても、子育て真っ最中のときにもっともっと自分自身でそのことばの重みをかみしめて、イメージができていたらよかったなあと思わずにはいられません。もっと、もっと、あんなことも、こんなこともしたかった・・・後になっての悔いが少ないよう、乳幼児をお持ちの保護者の方は、どうぞ、今のかけがえのない日々の一日、一日をいとおしんで過ごして下さい。わからんちんで、わがままで、ジコチューの子ども達との生活を笑い飛ばして、楽しんでください。

 

心の根を育てたい

  さて、その貴重な乳幼児期は、心の根を育てる時期とも言われています。小児科医の渡辺久子先生は、人間を木にたとえて、心は表に見えない土の下の根に当たり、この心の根の一番大事な部分は、幼児期までに作られるといいます。この時期に育てた太い根は、第二次性徴の大きな変化を迎えながら、大人へと成長していく思春期につまずきやすい子どもたちを支える心の根でもあるそうです。この心の根を育てるに際して大事なことは、一つには子どもが「このボクに、ワタシに生まれてきてよかった。」と誇りと喜びが持てるように育てることだと渡辺先生は話されています。子どもには生まれつきの個性があり、木にもみかんの木、桜の木、松の木といろいろあるように、子どもの個性もいろいろ。みかんの木を桜の木と比べてけなしてみても、みかんの木にはどうしようもない。みかんの木はみかんらしく、のびのびと育ててやることがお父さん、お母さんの役目なのです、と。 

  どうでしょう。きこえない、きこえにくい子どもをみかんの木に例え、きこえる子どもを桜の木に例えて考えてみた時に、みかんの木を育てることに携わるお父さん、お母さん、そして私たちが、もし子ども達に「桜の木になれ」「桜の木のようになってほしい」と願ったとしたら、子ども達はどの様に思うでしょうか。
 みかんの木に桜の花は絶対につきません。無理な願いを押し付けることは、いかにナンセンスなことかが理解できます。だって、みかんの木はみかんの木なのですから!みかんの木をながめながら、「桜の木が良かった」「桜の木にどうしてなれないの?」「お母さんは桜が良かったのに」と、悲しい、がっかりした眼で見つめられたら、みかんの木はたまったものではありません。みかんの木はみかんの木だから良いのです。そのみかんの木も、きちんと除虫したり、剪定したり、肥料をやったりしながら大事に育んであげないと、おいしい実はなりません。そこに木をよりよく育てるための「手をかける」作業が必要になってくるのですよね。
 桜の木も、松の木も、どの木であってもそれぞれの木に合った手のかけ方があり、その結果きれいな花やおいしい実がつくのです。私たちは、甘くて、ほんのりすっぱい、色鮮やかなみかんの実がなるようにみかんの木育てをしていきたいものですね。みかんは大人になった子ども達の姿、今の時期はその根っこを育てる時期です。太いたくましい根っこ(心)を育てる時期にも限りがあります。思春期に嵐が吹いても、根っこから育てなおすことはできません。その都度の応急処置は可能でしょうが、今ならお母さんお父さんには丈夫な根っこを育てることができるのですから、大事にこの時期を過ごしてほしいと思います。きこえる、きこえないにかかわらず、子育ての基本は何ら変わりありません。よりよい子育てを基盤に、私たち難聴児の子育てや教育に関わる者も、よりよい支援を模索していきたいと思っています。

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