30dB~70dB程度のいわゆる軽度・中等度(軽・中度)の難聴児・者に手話は必要なのでしょうか? 耳鼻科の医師やSTの人たちの多くはこうおっしゃいます。「軽・中度難聴なら補聴器で十分音声言語が身につきます。手話や指文字は必要ありません」と。
確かに、聴者と一見区別がつかないくらい明瞭に話せる子もいます。音声言語(話しことば)の獲得という視点からだけ考えればそう言えるかもしれません。では、軽・中度難聴児・者本人は、手話についてどのように感じたり考えているのでしょうか? まず、『手話で育つ豊かな世界』を読んでそれに共感された軽・中度難聴のお子さんをお持ちのお母さんが寄せて下さったご自分の体験と感想から紹介します。
『手話で育つ豊かな世界』を読んで~読者の方から
どっちつかずで迷いのあった頃
「私の息子は小耳症による伝音性難聴で、ろう学校の幼稚部に通っています。検査では、補聴器をつけると普通の会話が聞き取れる程度の聴力があるとされていたので、そのうち自然に言葉を覚えていくだろうと思っていましたが、ろう学校の幼稚部に入り、周りの子どもたちと比べて息子の言葉(音声も手話も)の発達が遅く、悩み始めました。
当時の先生からは「ある程度聴こえているから音声中心に、手話は補助的に使って、最終的には音声でのコミュニケーションがとれるようになることを目指しましょう」と言われましたが、息子には口蓋裂や気管切開などの発声器官の構造的な問題があり、語りかけても本人からフィードバックされる言葉は不明瞭で、どの程度音が入っているのかよく分からないフラストレーションがありました。
また、親の私が、手話が未熟で自信が無いうえに、手話と同時に音声もつけて語りかけなければならないということがストレスになって、息子に手話で語りかける内容は量も質も貧しいものになっていました。さらに、周りのアドバイスもバラバラで、手話のない環境の方が、かえって息子の言語が伸びるのではないか?などと悩んだりもしました。
難聴者の先生が担任になって
ところが学年が変わり、担任の先生が難聴当事者の方になりました。子ども時代を手話のない環境で苦労されてきた方で、息子には手話も音声も、使えるものはフルに利用して「コミュニケーションの楽しさ」「あいまいでなく全て分かる楽しさ」を主眼においた指導をしてくださいました。その中で丁寧な手話や指文字の指導がありました。
息子は先生や友達との交流を通じて、手話の表現が少しずつ増えていきました。手話が増えてくると、それに付随して積極的に音声も出すようになりました。その様子をみているうちに、今の息子にとって一番使いやすく、コミュニケーションが楽しめる言語、それが「手話」なんだということがようやく分かってきました。そのようなタイミングでこの本に出会いました。
これまでもろう・難聴児にとっての手話の必要性については時々聞くことがありましたが、ネットをはじめ様々な情報や価値観があふれ、混乱している中で、私の中では一情報として埋もれてしまっていました。手話の価値にようやく気づき始めた私にとって、当事者や専門家の様々な視点をまとめたこの本はとても説得力があり、今後の育児の指針となりました。
確かに今の社会では聴こえる人と聴こえない・聴こえにくい人たちとのコミュニケーションには障壁があると思いますが、この本にはそのような障壁を、少しずつでも解消されていく未来にもつながるとても貴重な内容が詰まっていると感じています。私のように悩めるろう児、難聴児の親はもちろん、幅広い分野の人たちに読み継がれていくことを祈っております。」
本人たちの体験から
軽・中度難聴児たちは音声言語での会話ができるために、「聴こえているから大丈夫」と判断されがちです。ましてきれいに発音できたりすると聴者同様に「きこえている!」と誤解されることもあります。しかし静かな所で1対1で会話をする時は音声言語でのやりとりができていても、騒音があったり距離が離れていたり話し手がぼそぼそしていたりすると、途端にわからなくなることが多いのです。そのギャップが大きいために、周囲の人もきこえているのか聴こえていないのか理解しづらいのが軽・中度難聴児の特徴です。
では本人たちはどう自分のことをとらえているのでしょう? Sさん(小学生の頃60dB,現在聾学校高等部)は『手話で育つ豊かな世界』の中でこう語っています。Sさんは幼児期を聾学校で過ごしたのち、地域の小学校に3年間通いました。その時の体験をこのように振り返っています。
「・・低学年のうちはまだよかったのですが、だんだんとわからないことや通じ合えないことが多くなり、自分がきこえていたら、こういうことはなかっただろうなと思うようになり、自分を責めるようになっていきました。・・・そして「もう無理だ」と思い、4年生で聾学校に戻りました。 ・・・ろう学校の世界は、インテグレーションの世界とはまるで違いました! みんなで手話を使って楽しくコミュニケーションがとれてすぐ友達ができました。わかることがこんなに楽しいとは思いませんでした。」(『手話で育つ豊かな世界』52頁)。 |
普通小学校の先生も理解があったし友達も励ましてくれていました。でも「わからない、通じ合えない」という経験の積み重ねは、「自分がだめなんだ」という自己否定と自信の喪失につながっていきました。でもSさんは聾学校で手話を使い友達となんでも通じ合える経験があったので、再び自分を発揮できる環境に帰りつくことができました。
もう一人、紹介しましょう。『手話で育つ豊かな世界』に書いている中等度難聴の大学生Tさん(60dB)です。Tさんは3歳までは保育園に通い、4歳からは聾学校幼稚部と保育園を併用していましたが、我が子の表情が聾学校と保育園とではまるで違うことに気づいたお母さんは、聾学校幼稚部一本に絞りました(同上書,70頁事例)。 以来、Tさんは高等部卒業まで一貫して聾学校で育ちました。現在、大学生であるTさんはある時、こう語ってくれました。
「聴者と過ごす経験はとても大事だと思う。しかし100%わかる会話ができるコミュケーション方法が必要だと思う。聞こえる人の半分くらいしか聞き取れない自分は、聴者の中で積極的になれず、空気を読んで過ごすことも多かった。それが自分にはストレスだった。しかし、手話をろう学校で学べたことで、手話で自分を表現できるという貴重な経験ができた。ろう学校で生活し、手話を学べたことは僕の財産だ」 |
Tさんは、聾学校で手話と日本語を身につけ、今はコミュニケーション手段をその時々に応じて切り替えながら生活しています。大学ではパソコンテークや手話通訳を利用し、サークルでは音声や筆談で聴者の仲間と交わり、時々、同障の仲間と会ってストレスのない手話での会話を楽しんでいます。「軽中度に手話は必要ない」のではなく、確実に、手話は軽中度難聴者の生活の質(quality of life)の向上に役立っていると思います。
「100%わかる」ことはなぜ大切か?
しかし、このような「安住の地」すら持たない子どもは、さらに翻弄され続けることになります。そしてボロボロになった心を引きずって聾学校にたどり着く子どもたちもいます。その時の彼らの様子を『手話で育つ豊かな世界』の中で、聾学校高等部教員の牛嶋文さんは次のように語っています。
・・『100%分かる言語』を使えない環境に置かれて、心が深く傷つき、人間らしい心の柔軟性を取り戻すのに何年もかかった、という例もありました。そのような生徒は周りの人間を信用することができなくなっており、友達を作ろうとせず、自分の固い殻の中に閉じこもって、攻撃的であったり、反応が乏しかったりしました。それでも、ろう学校という手話の環境の中で、『100%分かる言葉』の中で生活するうちに、人との会話の面白さに気づいたり、自分にかけてもらっている言葉をきちんと咀嚼できるようになったりする日々を積み重ねるうちに、少しずつ、表情がゆるみ、笑顔もみられ、それまで全く関わろうとしなかった活動にも積極性を見せるようになったりしていきました。 このような経験から、私は、人間が自分の周りの言語が『100%分かるわけではない』という環境に置かれる、ということは、ものすごく大きな影響を受けることにつながるのだと気づきました。そして、特に、高校生という多感で、自己と他者というものの存在について思考し、悩みながら自己という存在を確立していく年齢の人たちを『100%分かる言語』の環境においてあげないと、人間としてきちんと育っていくことに困難が生じる可能性があると思います。・・」(『手話で育つ豊かな世界』,89頁) |
はじめに引用した読者の方、Sさん、Tさんの手記からわかることは、私たちが生きていくときに本当に大切なことは、100%わかることば(手話)と環境(家族・友達・仲間)をもつということだと思います。きこえる人にとって、なんでも通じ合えることばと環境は産まれた時から空気を吸うのと同じくらい当たり前で自然なことですからほとんど意識することはありませんが、軽中度難聴の人たちにとっては、ということは人工内耳を装用する人たちにとっても、音声言語だけでそれを実現することは非常に難しいということでしょう。そこに手話という方法が加わわる。そこから得られるメリットは計り知れません。『手話で育つ豊かな世界』(900円)には、人工内耳を含むたくさんの軽中度難聴の本人や保護者が手記を掲載しています。ぜひ読んでいただけたら幸いです。
書籍紹介(2割引します!)
『手話で育つ豊かな世界~その子らしさを実現する支援・教育を求めて』 全国早期支援研究協議会 B5版 124頁 900円
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