はじめに~非認知的スキルとは?
学力、思考力、知能、偏差値といった、数値で表すことのできる力のことを「認知的能力・認知的スキル」と言っています。日本でも世界でも私たちはこうした力を信じてきましたし今でもそうです。そうした力によってIT技術の進歩等がもたらされているのも事実ですが、その一方で、環境の悪化、食糧問題、国家間・民族間の紛争などさまざまな問題も起こっています。こうした問題を解決するには、互いに協力しあう力が大切で、協調性、コミュニケーション能力、感情をコントロールする力、目標に向かって持続する力、自己肯定感といったことが見直されるようになりました。こうした力は、認知的スキルが数値によって評価できる反面、数値化が難しく、「認知的」に対して「非認知能力・非認知的スキル」(=「社会情動スキル」OECD)などと呼ばれています。そして、こうした両面の力をつけていくことの必要性、大切さが学習指導要領などでも言われるようになりました。
難聴児にとっての「非認知的スキル」とは?
インテ・難聴児の全体的な課題
難聴児の教育の課題と言えば、『9歳の壁(峠)』ということが一般的によく知られています。これは、抽象的思考への入れ口にあたる小学校4年生(=9歳)の言語力や学力のレベルが、難聴児にはなかなか越えられないという現象のことです。そのため、難聴児の教育は、この「壁」を越えることを大きな目標として、書記言語力・思考力をつけることに取り組まれてきました。そして、幼児期の療育・教育の充実や日本語文法指導など学習指導法の改善などによって、難聴児の日本語言語力は向上する傾向にありますが(全ての児童の結果を調べたデータがないのでなんともいえませんが、筆者の調べた限りでは上昇傾向にあるのは確かです)。また、一方では人工内耳の出現によって、「話す・聞く」というレベルでの音声言語習得は、高度・重度難聴児にも可能となってきており、こうしたことから、聾学校に通う難聴児より地域の小学校・中学校へ通う難聴児(いわゆる「インテグレーション」)のかずは増加の傾向がみられます。
では、地域の学校に通う難聴児は、日本語の面で問題は解決しているのかと言えば、上記資料等から必ずしもそうとも言えませんが、そうした「認知的スキル」の課題はおいといて、今回は、難聴児の「非認知的スキル」の課題について考えてみたいと思います。
インテ・難聴児の「非認知スキル」の課題
上図(難聴児につけたい「非認知的スキル」とは?)に示したように、難聴児を取り巻く環境は、聴者の教員と同学年・他学年の聴児たちです。そして難聴児の周りはアイキャッチ画像からもわかるような、聴き取りに困難さが生じる環境だらけですから、可能な限り100%に近い情報保障を行ったとしても、きき漏れが頻繁に生じる言語環境であることには変わりはありません。そのような環境のもとでは、ただ与えらえる情報だけに甘んじていては、いつまでも「わからないことだらけ」の状況が続くことになりかねません。ですから、いかに自分から周囲に働きかけ、必要な情報を引き出したり、情報保障がなされる環境を作っていくことが必要になります(これは社会に出てからも当然必要なことです)。こうした取り組みのことを「セルフアドボカシー」(自己権利擁護)と言います。とはいっても、難聴児は、家族以外の他者とのコミュニケーション経験は少なく、多くの難聴児にとってすぐに取り組める課題ではありません。支援を他者に求めるためには、まず、自己の障害等について自分自身がしっかりと理解したうえで、他者からなぜ、どのような支援が必要なのかを問われたときに、自分の障害によって周囲と関わるうえでの困難さはどんなときなのか、また、そのためにどのようにしてほしいのかなどを説明できなければなりません。そのための準備から始める必要があるのです。その準備とはどのような準備でしょうか? 以下に、必要な3つのことについて説明したいと思います。
セルフアドボカシーのための「障害理解」と「自己理解」
『障害者差別解消法』という法律があります。この法律は、行政機関・学校や民間事業者に対して、障害者に対する不当な差別を禁止し、「合理的配慮」をしていくことを義務付けた法律です。「合理的配慮」とは、障害のある人や子どもの困りごとをなくしていくために、周りの人や社会がすべき無理のない範囲での配慮という意味です。
セルフ・アドボカシーとは、このような「合理的配慮」を求める権利であり、「セルフ・アドボカシー・スキル(SAS)」とは、自分自身で自己の障害を理解し、自分でできる対処や他者に求める支援(すなわち合理的配慮)を適切に求めるスキルのことを言います。
このような権利を行使し他者に説明できるためには、自分の障害についてしっかり理解している必要がありますが、難聴という障害を理解し、それを説明することはそれほど簡単なことではありません。下のファイルに示したようないくつかの理由があるからです。ですから、まずは、自分の障害についてしっかりと学習し、どのような時に困るのか、どんな支援をしてほしいのかを、その理由も含めて伝えられるよう、障害の理解の学習から始めるとよいと思います。また、障害のみならず、自分自身の得意なこと苦手なこと、将来の夢なども含めて、自己理解を深めていくとよいと思います。そのうえで、通常学級・交流学級での「障害理解授業」を進めていきます。下にその事例を紹介します。一つ目は難聴理解かるたを使って「ぼくのトリセツ」を作って学級で紹介した事例、二つ目は保護者の協力も得て「紙芝居」を作って学級で紹介した事例です。
「アサーション・スキル」を身につけよう
いわゆるインテグレーションしている難聴児は、どの子も同学年のクラスに所属し、そこで授業を受けたり、給食を食べたり一緒に遊んだりすることになります。しかし、難聴児が聴児と自由に会話することは、たとえ補聴器や人工内耳をしてある程度の聴き取りや発語ができたとしてもそれほど簡単なことではありません。この記事の冒頭に、ある地域の難聴・通級学級担任のアンケート調査の結果を載せましたが、そこでの「難聴児の課題」として圧倒的に多かったのは「聴児とのコミュニケーション・人間関係」の課題でした。また、保護者がわが子をインテグレーションさせる理由のうち最も多いのが、まさにこの「聴児とのコミ・人間関係の形成」であり「社会性の涵養」です。
難聴児にとってインテグレーションの究極の課題であり、保護者の期待でもあるのです。とは言っても、音声言語でのコミは、情報保障が一定なされる授業や行事等はまだよいとしても、休憩時間での子ども同士の会話はそれぞれの子どもにまかされることになります。そこで大切なことは、コミュニケーション手段の問題と同時に、相手も自分も大切にしたコミュニケーションができることです。このような自分の気持ちや考え、意見などを正直に率直に表現し、同時に相手の気持ちや考えを尊重するコミュニケーションの方法を「アサーション」といいそのための技術を「アサーション・スキル」と呼んでいます。
難聴児は、幼い頃から聴児との会話に慣れていないことが多く、また、このようなスキルを意識的に家庭で身につけるチャンスも少ないので、低学年の時から、具体的な場面を通して意識的に指導する機会が必要でしょう。
以下に、アサーション度チェックリストを紹介しておきます。これを子どもにチェックしてもらい、アサーション度が低い子にはぜひ指導するとよいと思います。半分以上の項目に「はい」があった子はアサーション度が高い子です。もし、このチェックリストで得点が半分以下だったら、子どもが自分の意見や考えを相手にわかりやすくはっきりと話せるよう、また、相手の話を最後まできちんと聴き、理解しようとする練習をしましょう。因みに、問の1~10は自分自身のこと、11~20は相手のことについての質問です。
出典は参考文献(2)の『アサーショントレーニング』です。
質問 | はい | いいえ | |
1 | あなたは、誰かに良い感じを持った時、その気持ちを相手に伝えることができますか? | ||
2 | あなたは、自分のよいところやがんばったことを、人に言うことができますか? | ||
3 | あなたは、緊張しているとき、「今、緊張している」という気持ちがわかりますか? | ||
4 | あなたは、知らない人たちとも気楽に話をすることができますか? | ||
5 | あなたは、話している人の仲間に入ったり、話している人にことわって別れることができますか? | ||
6 | あなたは、自分が知らないことやわからないことがあったら、説明を求めることができますか? | ||
7 | あなたは、人に助けを求めることができますか? | ||
8 | あなたは、人と違う意見や感じ方を持っているとき、それを言うことができますか? | ||
9 | あなたは、自分が間違っているとき、それを認めることができますか? | ||
10 | あなたは、適切な評価を述べることができますか? | ||
11 | あなたは、人からほめられたとき、素直に受け取れますか? | ||
12 | あなたは、あなたの行いを注意されたとき、それを聞くことができますか? | ||
13 | あなたは、何か嫌なことをされたとき、相手に「いやだ」と言えますか? | ||
14 | あなたは、長電話や長話のとき、自分から切ることができますか? | ||
15 | あなたは、あなたの話を中断して話し出した人に、いやな気持を伝えることができますか? | ||
16 | あなたは、何かに招待されたとき、受け入れたり断ったりできますか? | ||
17 | あなたは、人の気持ちを考えずに、無理に押しつける人に「いやです」ということができますか? | ||
18 | あなたは、お店の人が頼んだものと違いものを持ってきたとき、取り替えてほしいということができますか? | ||
19 | あなたは、他の人からよけいなことをさとき、断ることができますか? | ||
20 | あなたは、助けや手伝いができないとき、「できない」と言えますか? |
☆参考文献
(1)『イラスト版子どものアサーション~自分の気持ちがきちんと言える38の話し方』
園田雅代・鈴木教夫・豊田英昭編著、1,600円(+税)、合同出版
(2)『アサーショントレーニング』①学校編、②友だち編、③家庭編
平木典子監修、鈴木教夫編著、各2,300円(+税)、汐文社