共働きでどうやって日本語の力をつけたか?~二人の大学生の体験から

当事者・本人(メッセージ・体験談・作文)
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はじめに

 最近、聴覚障害教育の世界でも乳幼児期から共働きの家庭が増えてきています。例えば、聾学校の幼稚部に通いつつ、曜日によって保育園に行く日と聾学校に行く日を分けている家庭もあれば、毎日、放課後だけ保育園に通う子どももいます。それぞれの家庭の経済状況の問題もありますし、女性の社会進出や就労保障といった観点からも親が働きながら難聴児を育てていける環境を保障していく必要がありますが、一般の保育園(幼稚園)では、どうしても難聴のある子どもの日本語や思考の力、多様な知識の不足といった問題が生じがちです(難聴児は耳からきいて自然に言葉や知識を増やしていくという「偶発的学習」は不可能です)。一般の保育園や幼稚園では、その子に一対一で関われる一定の「専門性」を身につけた先生(大人)がつくことは(現状では)難しいからです。「ことば」を身につけるためには、実際の体験の場で、そのモノ・コトについて、さまざまな方向から、その「ことば」の概念を豊かにするために、難聴の子とことばでやりとりすることが必要なのです(下記イラスト参照)。

  結局、共働き家庭では、「ことばの力をつける」ということに関しては、家に帰ってきてから寝るまでの何時間かと土日などのお休みの日での親子での関わりがどのようになされるかということが大事になってきます。聴覚障害が言語・コミュニケーションの障害であり、口話・手話に限らず、家庭でのルーチンな日常会話だけでは、読み書きのと思考の力はつかないからです。そこが、耳から情報をキャッチできる聴児とは違うところだということをしっかりと理解しておく必要があります。

 以下、紹介する事例は、私がある大学の聴覚障害に関する授業を担当していた時、その授業に出席していた二人の大学生の体験談です。フルタイムの夫婦共働きの家庭で、どうやって子どもに日本語の力をつけたのか? そして、その後、学力を身につけ、名門私立大学や国立大学に合格したのか? 話をきいていくと、幼児期とくに年中あたりから小1年頃までの家庭での関わり方(家庭学習)にそのカギがあったことがわかってきました。

二人の大学生の体験談より

 私が担当していた、某国立大学教育学部の授業に二人の聴覚障害学生がいました。二人とも聴力は100dB以上で補聴器装用ですが、そのうちの一人Aさんは私立の名門大学から聴講生というかたちで特別支援教育免許の取得のために来ていました。もう一人のBさんは、聾学校からこの大学教育学部特別支援教育専攻に入学した学生です。
 この二人にこれまで自分がどのように育ってきたのかという体験談を語ってもらい、そこから「聴覚障害とはどういう障害なのか?」について皆で考えるという授業を2時間行いました。その中でのテーマの一つが、「幼少期にどのように日本語を獲得したのか?」ということでした。

Aさんについて

 Aさんは地方出身の大学生です。地元の療育機関に赤ちゃんの時から時々通って指導を受け、両親とも公務員であったために幼い頃より保育園に預けられました。そして地域の小学校に入学し、その後中学に進みますが、そこで陰湿ないじめにあいました。クラスの生徒たちから徹底的に「シカト」され、それが3年間続きました。両親にも言えず、ただただ「耐える」それだけの毎日だったそうです。その中学を卒業した時、「これで自分は自由になれる!」と思い、ほんとにうれしかったそうです。そういうこともあって、高校は聾学校高等部に入学しました。そして名門私立大学に現役で入学しました。

Bさんについて

 一方、Bさんは、都会地の公立の聾学校乳幼児相談から幼稚部へと進み、そのままずっと高等部まで聾学校に通いました。ただ、当時の幼稚部は厳しい口話法だったそうです。
 この二人には共通点が二つあって、一つは、両親がフルタイムの共働き家庭であったこと、もう一つは、当時は聴覚口話法の時代であったにもかかわらず、家庭では積極的に手話を使っていたということです。では、親子で関わる時間が限られるなか、どうやって日本語を身につけたのでしょうか?

幼児期の親子の関わり方

Aさん

 Aさんはお母さんが公務員。彼が語った「ことば」に関する幼児期の記憶は、以下のようなことでした。

指文字は年長になる前に全部覚えた。(音韻)

手話は、毎週15個の単語を日本語と結びつけて覚えた。(語彙)          

・母が毎日、絵日記を書いて、それを自分で読みながら手話で表現していた。絵日記を読み終わった後に文章の主語、接続詞、助詞などを教えてもらい、内容について質問されてそれに答えるという学習を毎日やった。(例「いつのこと?」「だれが何をしたの?」「どうしてそうしたの?」「それでどうなったの?」等)(文法・読解)

・文章の書き方を学ぶため、毎週1週間の出来事を自分で日記に書いた。(作文)

 こうしたことを毎日積み重ねることが文章力や論理的思考力の土台を作るのに大切だったのだと思う、と話してくれました。
  *下記の絵日記は、「絵日記の中でどういう会話をしたか」を紹介するために、参考までに例を示したもので、Aさんの絵日記ではありません。

  

 では、「毎日、どのくらいの時間やっていたのか」とAさんに質問したら、夕食後にだいたい1時間から1時間半くらいやったということでした。
 特徴的なのは、手話・指文字も文字も音声も全部使ったということです。これは、ことばを覚えるための方略としては大事なことです(「多重符号化の効果」・・・ことばを習得するためには単一のモードを使って覚えるよりさまざまなモードで記号化したほうが効果的)。ことばを覚える手掛かりが曖昧な音声だけでは確実に覚えられないからです。
 また、語彙を増やすという活動を手話と日本語の両方でやっています。毎週15語ということは1年間では800語。それなりの語彙数です。また二つの言語を使うということは、学習言語につなげるためのメタ言語意識(あることばの意味をもう一つの言語で思考し説明する力)を高めることにも役立ちます。

 それから、日本語は、絵日記を通して文字による言語化(書記言語)を中心に学習しています。しかも、内容は主述関係や助詞、接続詞といった文法の学習と、書かれた文章の読解。きちんと文を読むための基本の力を幼児期から育てていたことになります。

 さらに自分で作文する練習もしています。「まるで学校みたい」と思われた方もいらっしゃるでしょう。では、「保育園ではどうしていたのか?」と問うと、Aさんは「まだ聞こえていないことを意識することもなくとにかく遊ぶのがただただ楽しかった」と。昼は保育園で元気に遊び、夜はお母さんと「ことばの勉強」。本人にとってはそれがふつうの生活だったようです。

 以上のように、Aさんの家庭では、幼児期に、①語彙(手話と日本語で毎週15語覚える)、②文法(絵日記の中で教えてもらう)、③読解(絵日記を使って文を読み取る練習)、④構文・作文(自分で1週間にやったことを書く)などトータルな日本語の学習を、毎夜、お母さんと1時間ないし1時間半程度やったということです。そして、こうした親子での学習は、「小学校低学年までやっていた」ということでした。

Bさん

 ・聾学校幼稚部と保育園に並行して通園。また療育機関にも時々通い、発音指導や言語指導を受けていた。

 ・家族や自分の行動を写真にとり、カードを使って文を覚えた。(写真カード・とくに動詞)

 ・日本語の文法を覚えるために助詞に丸を付けてひとつずつ役割を確認して覚えた。(文法)

 ・毎日、絵日記をお母さんと一緒に書いて、内容のやりとりや助詞などの使い方を学んだ。(作文・文法・読解)

 「では、Bさんは、毎日、どのくらいお母さんと一緒にそうした時間を過ごしたの?」という質問には、やはり夕食後の1~2時間との返答でした。そして、その時間がとても楽しかったと応えてくれました。本人にとってはその日の出来事をきいてもらえる時間、一緒に考えてくれる時間、絵本を読んでくれる楽しい時間だったようです。
 また、家族で手話を覚え、お父さんは、Bさんが地域の野球チームに入ったとき、一緒に手話通訳兼コーチとしてチームに入ったそうです。家族皆で協力し合ってBさんを育てたことが伝わってくるエピソードでした。

おわりに

 二人の体験談から、大事だと思ったことです。

共働きであっても家族で協力し合って(協力がないと難しい)、日々親子で関わる時間を確保し(1時間は必要かと思いますが、できなければ15分でも30分でもそれを習慣化することが大事)、そこでやりとりし、日本語を身につける時間をもつことです。

②次に子どもが苦痛を感じていないことも大事でしょう。親子関係が安定していないと子どももいうことをきいてくれませんし、いやいややっていることは身につきません。そのためには大人の側の創意工夫や子どもを楽しませる教材の工夫やときに演技力も必要かもしれません。

③その取り組みが継続されること(二人とも小学校1,2年くらいまで継続)。ここが一番難しいかもしれません。「石の上にも三年」と言いますが、そのくらいの時間が必要だったようです。

 これからの時代、AIをはじめ科学技術が進歩してくると、いまある聴覚障害者の仕事がいつまでもあるとは限りません。では、その時に必要なことはなんでしょうか? ①人間関係に上手に対応できる対人関係能力(そのための障害認識・セルフアドボカシースキル)、そして②読み書きのできる日本語の力、論理的にしっかりと考えられる思考力でしょうか。その土台をつくる時期は、幼児期から小学校低学年くらいまで。家庭で親が教えられるのはそのあたりまでと考えると、子どもと関わる時間が絶対的に少ないフルタイム共働き家庭では、毎日の時間の使い方、夫婦・家族間の協力関係、親子のやりとりと日本語の身につけ方の工夫など、関わり方の「質のアップ」が求められるように思います。

 そしてもう一つついでに言うなら、将来、可能なら大学に進学し、専門性を身につけ、その力が活かせる仕事につくとよいと思います。今の世の中は、まだまだ「障害者」に対する理解は進んでいません(下図参照)。同じ職場で障害者と働くことに抵抗感をもつ人たちも多いです。その結果として差別的な対応をされたり、合理的な配慮に欠ける取り扱いをされることもあります。コミュニケーションが成り立たないと人間関係は成り立ちません。そのため、聴覚障害者の離職は、他の障害者の離職よりもはるかに多いという現実があります。
 しかし、「大学卒」=専門職という肩書があると、一定の配慮を受けやすくなるのもこれまた事実です。要するに「一目置かれる」わけです。働きやすくなるのであれば、それもありではないかと私は思います。

参考になる書籍

☆『どうすればことばが育つか?』 全国早期支援研究協議会 A5版108頁 900円 
  https://nanchosien.blog/how-to-learning/#how-to-learning

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