『珈琲とエンピツ』~聾者が店を営むための工夫とそこから私たちが学ぶこと

当事者・本人(メッセージ・体験談・作文)
この記事は約7分で読めます。

 書棚を整理していたら、映画『珈琲とエンピツ』のパンフレットが出てきた。懐かしい。この映画は、サーフィンが大好きな聾者、太田辰郎さんが浜名湖畔にサーフショップを開店した経緯を記録した映画で当時話題になったことを記憶している方もおられると思う。この映画が完成したのは、東日本大震災があった2011年の秋。私が、その店に行ったのもちょうど映画が完成した頃だったと思う。映画は以下のような内容だ。

映画『珈琲とエンピツ』(2011年作品)

 映画の主人公は、静岡県湖西市にあるサーフショップ&ハワイアン雑貨店の店長太田辰郎さん。ろう者である。30年以上のキャリアをもつサーファーで、自らサーフボードを作る職人でもある。4年前、長年の夢だった自分の店を開いた。聞こえない太田さんがお客さんをもてなすために考えたのが、自らも愛飲するハワイの珈琲をサービスすること。来てくれた人に、まず珈琲を入れ、ジェスチャーで勧める。そして、紙とエンピツで筆談が始まった。「今日、波乗った?」「乗ったよ。いい波だった」ハワイアンと間違えられるほどの風貌の太田さんは、筆談だけでなく、声を出して、大きな身振りと豊かな表情で人懐こく話しかける。彼のもとには、手話と全然縁のなさそうなサーファー達も気軽に集い、身振り、手振りで会話を楽しんでいく。そんな太田さんに魅力を感じた今村彩子監督もろう者。約2年間、名古屋から湖西へ通い、取材を重ねた。コミュニケーションは声で話すことだけではない。手話だけでもない。筆談、身振り、そして笑顔。相手に気持ちが通じれば、何でもありだ。一番大切なのは、伝え方ではなく、相手に伝えたいという気持ち。そんな太田さんの「言葉を越えたコミュニケーション」を多くの方々に知てもらいたいという想いを込めて・・(以上公式HPより)

”Surf House Ota” を訪ねて思ったこと

 店に入ると、カウンターには、「私は耳が不自由です。ご用件はメモに書いて下さい。」との案内表示と紙とエンピツがあった。聴者であるお客さんは、太田さんがいれてくれるハワイアンコーヒーに舌鼓を打ちながら、筆談したり、ゆっくり口話で語りかけたり・・・。そんな聴者と向き合う太田さんは、大事なことや伝わらないことは筆談しながら満面の笑顔とユーモアたっぷりの身振りや表情で応じていた。しかし、最初からお客さんとのやりとりが順調に行ったわけではなかったようだ。一日中、店を開けていても誰も来ない、そんな開店から1~2年の時を経て思いついたのがハワイの珈琲でもてなそうというアイディア。太田さんの人柄とコーヒーの味がお客さんの心をつかみ、たくさんのお客さんで賑わうお店になったようだ。

 太田さんは、ご両親、祖父母は皆ろう者で、デフファミリーで育った。太田さんのお母さんはろう者相談員で、太田さんは小さい頃から相談に来る人たちの悩みをいつも見ていて、現実の社会で起こる問題を知っていたらしい。
 また、近所の人たちとは皆知り合いで、小さい時から地域で聴者とはいつも関わっていたことなどを話してくれたようだ。元々もの作りが好きだった太田さんは、バイク・自動車製造会社のスズキに入り、10年かけてろう者の働く環境づくりに力を尽くしてきた。そうした活動の結果、専任の手話通訳士二人が会社内に配置されるようになったとのことだった。ろう者が働きやすい職場環境作りを考え、会社に働きかけるという彼の姿に象徴されているように、彼は、『きちんと考えることのできる力の大切さ』をこれからの子ども達に身につけてほしいと話していた。

 太田さんは、自分が聞えないこと、ろう者であることを肯定的に受け止め、自信を持って生きている。だから、自分自身のきこえなさについて、きちんと説明できていたようだ。いま風に言うと「セルフアドボカシー・スキル」をしっかりと身につけていた。
 その一方で、きこえない太田さんにどう接していいかわからないのが聴者。映画の中で、ある聴者のお客さんが、きこえないことについて本人に尋ねるのは失礼じゃないか、タブーじゃないか…そう思い、きこえないことについて聞きたい事も聞けず、触れられずに悩んでいたことを打ち明けるシーンがある。おそらく、聴者の中には同様の思いを抱いている人はたくさんいて、どう関わってよいかわからないから、遠慮している人も多いのだろう。そんな聴者の立場を想像することも大事だと思う。

 互いに面と向かって話してみることで、「きこえない」ことについての理解も深まり、コミュニケーションの壁を取り払うことができるようになる。太田さんが、紙とエンピツと案内表示を置いたことは、きこえない店長にどう接したらよいかを具体的に知らせる方法として、聴者に安心感を与えた。それに、おいしいコーヒーがついたことで、相手の心をほぐす相乗効果も加わったことだろう。

先日、知人のろう者からのメールをもらったが、最後に、所属と電話やファクス、メールアドレス、その次には『耳が不自由ですので、大変恐縮ですがメールもしくはファックスにてご連絡下さいますようお願い申し上げます。』の一言が付け加えられていた。この一言がいかに周囲への誤解のないコミュニケーション、障害理解につながるか、改めてその大切さを思った。名刺の裏に同様のことを書いて自分のことを説明する聴覚障害者の方もたくさんいる。こうした自己アピールの方法は、ろう者に限らず、軽・中度難聴者、人工内耳装用者の方々にも必要なことだと思う。

 そしてもう一つ、太田さんから学んだことは、相手と伝え合いたい気持ち、意欲、積極性。伝え合いたいから、音声言語や手話にこだわらず、身振りや表情、筆談…とあらゆる方法でコミュニケーションをとろうとする姿が、聴者との壁をなくしているように思う。太田さんの店では、年に1回地域の聴者、ろう者100人ほどが集まり餅つき大会をしたり、バーベキュー大会を開いたりして、互いが自然に交流できる場を提供している。明るい太田さんのお母さんが手品を披露し、わかせる様子が映画にもあったが、実にほのぼのとする温かい雰囲気がそこにあった。

 震災時、聴覚障害者を守るために私たちが教訓として学んだことは、『地域とのつながり』だった。日常的に地域の人々とのつながりがあれば、放送で流れてくる情報を聴き洩らし、危険にさらされるかもしれない聴覚障害者は助けてもらうことができる。太田さんの家族のように、地域の人々と日常的に語り合い、関わりあうことでつながりを作っていくことが大切なのだと思う。

映画監督・今村彩子さんについて

 さて、この太田さんの生き方に目を向けたのは同じくろう者である監督の今村彩子さん。実は、この映画でナレーションを音声で行っているのも今村さん。今村さんのナレーションは、おそらく発音のイントネーション等に特徴はあっても、聴者に聞き取れる発音明瞭度の持ち主。映画の中でも語られているが、音声言語を流暢に使える彼女が、聴者の世界で自分を出せない窮屈さを悩みとして抱えていた。聴者には理解しがたい部分であるのだろう。「それだけきれいに話せれば、聴者とのコミュニケーションも取りやすくていいでしょう。」そんな一言に傷つく聴覚障害者は、今村さんだけではない。きれいに、流暢に話せることの否定ではなく、それだけではコミュニケーションが保障されているわけではないという事を本人たちはわかってほしいと感じている。つまり、聴者に伝えられても、自分は聴者のことばが全て確実にわかるわけではない…そのことで生じてくる一方通行コミュニケーションの悩みが本人には重大な問題なのだと思う。そんな今村さん、以前は、手話を知らない聴者とは距離を置き、発音を変だと思われたくないし、同情もされたくないから声も使わずにいたそうだ。そして、聴者にとって筆談は大変だし、面倒くさいだろうと思い、自分から距離を作ってきたそうだ。そんな彼女が、太田さんに出会って、彼があらゆる手段を使って聴者とコミュニケーションを図り、双方の距離がすぐに縮まる様子を目の当たりにし、ショックを受け、彼にカメラを向け始めたという。『聴者との間に壁を作っていたのは自分の心』だったのだ…と彼女は気づいた。そんな壁を取り払うかのように、オープンに心を開く太田さんのコミュニケーションの姿。

 この映画を見て、これからの子ども達に、是非『人と関わる力=コミュニケーションする力』を大切に育てていきたいものだと思った。人と関わる力は、人に働きかける力ともいえるが、実は『人を受け入れる力』『多様な人々がいることを理解し、許容する力』と解釈するといいのではないかと思う。そのためにも、色々な人と浅くではなく、深く付き合う(深く語り合う)経験を重ねて、対人関係の力をつけることだと思う。このような、豊かなコミュニケーション力をもった子・人にどう育てるか? 聾学校においても難聴学級や通常学級においても、難聴児に共通する大事な課題だと思う。(木島)

タイトルとURLをコピーしました