今回は、難聴のお子さんをお持ちの二人のパパの子育て体験談を紹介したいと思います。20××年に某都立ろう学校乳幼児相談主催の「先輩パパの話をきく会」での講演を要約したものです。二人のパパさんのお子さんはいずれもろう学校在籍で、Aさんのお子さんは幼稚部年長、Bさんのお子さんは小学部3年です。以下、当時の記録から。
Aさん(父母聴者・娘難聴幼児)
Aさんの話の中で強調されていたことは、「きこえない本人から学んだことが大きかった」ということでした。お子さんの難聴が分かって間もない頃に読んだ『こころの耳~伝えたい。だからあきらめない』(早瀬久美、紀伊国屋書店、2004年)を読んで、それまできこえないということについて、ある程度わかったつもりでいたのだけれど、わからないことがいっぱいあるんだと思ったそうです。この本の著者は、日本で初めて、聾者として薬剤師資格を認定された人で、大学薬学部を卒業し資格試験に合格したけれど「欠格条項」によって認定されず、その後、長い署名活動等の撤廃運動に取り組み、220万人もの署名をあつめようやく認められた、という体験を本にしたものです。
この本を通してきこえない本人の考え方や体験から多くのことを学ばれたAさんは、その本をバイブルのように大切にされていました。その後、奥様が手話を学び、子どもとコミュニケーションが流暢にとれるようになった姿にも刺激を受け、当時隔週土曜に行われていたろう学校でのお父さんのための手話講座や、地域の手話講習会に通いながら、そこでまた、きこえない本人たちやきこえない子を育てた親御さんと出会い、「きこえないとはどのようなことか」の理解を深めていったそうです。
その中で、「本人がどう思っているのか、きこえないことはどういうことかを知るためには、自分がきこえない人とかかわらなきゃ!」と強く思うようになったということでした。そして、隔週土曜日のお父さんの手話学習会で出会ったBさん他、何人かのお父さん方と知り合い、その縁で飲み会を始めたものの男同士すぐに打ち解けるのは難しく、長い時間をかけて親しくなって、今のお父さん同士の絆があるのだそうです。こうしたいわゆる「親父の会」の結成により、PTA活動にも積極的になり、子どもたちのための様々な行事等の企画などもされています。企画運営に携わったお父さん達は、「父親が知恵を絞れば、色々なことができる!みんなで創り上げる楽しさを味わえた」そうです。そして、それも「こうしたチャンスは娘がいたからこそ!娘に感謝したい!」そうです。そして、「いつも親父は楽しそうにしていたな。」娘にはそんな背中を見せて行きたいという素敵な話をされました。
ろう学校に対しては、色々な期待があるけれども、「生きる力を身につける場であってほしい」「みんなが通いたい、きこえる子ども達も通いたいと思うような学校にしていきたい!」学校任せではなく、自分達親もいっしょになって魅力あるろう学校を創り上げていきたいとおっしゃっていました。
そして、「自分がきこえないということをきちんとアピールできる人間になってほしい」という願いを実現するために、親自身が会社の同僚や友人達に「うちの娘はきこえなくて…」という話をどれだけ言えているかどうか、抵抗なく言えることが大切ではないかとおっしゃっていました。子どもが障害についてアピールできる力をつけていくためには、まず親がモデルを見せることが大事であることを伝えて下さいました。
最後に、Aさんは、「わが子に自立した人間になってほしい」とおっしゃりながら、その『自立』についてこのように解説されていました。「生計が立てられる、人の役に立つ、次世代のために何ができるかを考える事ができる」…自立について、「次世代のために何ができるかを考える事のできる人間に」…そこまで考え及ぶAさんの思いの深さに感銘を受けました。
Bさん(父母聴者・息子難聴小3・妹二人聴児)
長男が生まれて新スク受検「リファー」と言われたが、そのまま別の勤務地へ転勤。その地の大学病院で4か月の時に重度難聴の診断。人工内耳手術をすることだけを考え、インターネットで情報を集め、1年後、東京に転勤。
そのBさんは、二つのことで迷ったそうです。ひとつは手話を使うかどうか、二つ目は人工内耳をするかどうか、です。
当初、手話を使うと聴覚口話の邪魔になるという情報もあり、どうしようか悩んでいた時期があったそうですが、当時、きこえる赤ちゃんにベビーサインを使ってコミュニケーションすることが流行っており、きこえる子どもだってサインを使えば音声言語が出やすくなる、そうであれば手話を使った方がやはりいいのではないか、そう考えたそうです。実際に、ベビーサインから手話を使っていくうちに、次のような手話を使うメリットを実感できたと言います。
当時、きこえる赤ちゃんにベビーサインを使うことが流行っており、きこえる子どもだってサインを使えば音声言語が出やすくなる、そうであれば手話を使った方がやはりいいのではないか、そう考えたと言います。実際に、ベビーサインから手話を使っていく内に、次のような手話を使うメリットを実感できたと言います。
実感した手話のメリット①~知識や社会性の広がりのための種を撒くことが可能になった。

小2後半頃から一緒にテレビを見ていると、ニュース等を見ては質問してくることが増え、子どもが興味を持った時に、それに答えてやれる手段を持っていなければならないと思うようになった。父親として答えてやれたかなと後悔することがないよう、また、子どもに、お父さんに聞いてもどうせわからないだろうと思わせないようと思った時に、手話が役に立つと思った。
手話も身につけていると、子どもに説明する時に、口話だけ、文字だけよりも確かに役に立つ。コミュニケーション手段は、使える選択肢が多い方がいいと実感した。
実感した手話のメリット②~家族の一体感を育てる効果

子どもが社会に出た時に、偏見や不当な扱いを受けて精神的に傷を受けるのではないかという心配がある。その時に、家族は味方であるという心の拠り所を作ってやりたいと思った。母親とはコミュニケーションができるが、父親とは難しいという例をたくさん聞いてきたこともあり、父親としても、しっかりコミュニケーションできるようになっていたかった。きこえる妹達と父親が音声で会話していて、自分だけわからない…そんな風景がたくさんあったら子どもに拠り所はないだろうと思った。父親が手話を使えば妹達も使うようになるだろうと考え、それを実行してきたが、現在家族の中で皆が手話と口話両方を使って話す家族になってきている。
実感した手話のメリット③~きこえない人からの情報収集ができるようになった
きこえない人のことは、やはりきこえない人から学ぶのが一番だと考えている。例えば、普通の学校で不当な差別やいじめにあった時に、父親はどうバックアップできるのか、きこえない人に対処法をきくべきだと思う。自分がろうか、聴か、難聴か~自分とは?というアイデンティティーについて悩む人がいるとも聞くが、きこえない人に聞くことで、自分とは何かという理解の仕方も変わってくるのではないかと思う。こうした意味からも、手話使うことを選んだ。
そして、当初の課題でもあった人工内耳についてと関係するが、きこえない人達と知り合うことの中で、きこえる人以上に前向きな生き方をしている人たちがたくさんいる事を知ったこと、きこえること=幸せか?というと決してそうではないのではないか。きこえないから幸せになれないのではない、ということに気付いた…つまり、きこえるようにすることが重要ではない、その子(人)がきこえないことをどう受け止め、乗り越えて行かれるか、それが大切ではないかと言うことに気付いたことが、人工内耳をわが子について見合わせることになったきっかけだった。
Bさんは、奥様が勝手に申込んだ地域の手話講習会に、お子さんが1歳の時から参加するようになり、中級クラスも終え、その後は自力で学習しているそうです。当時、子どもに人工内耳をすることで頭がいっぱいだったBさんは、その手話講習会に来た20代のきこえない青年に、「あなたはなぜ人工内耳をしないの?」と聞いてしまったことがあったそうです。当時はきこえない人に会えば同じ質問を投げかけていたそうですが、その時の彼の答えが衝撃的だったと言います。彼の答えはこうでした。
「周囲はぼくたちきこえない人間を障害者だという。しかし、自分はそう思ってない。自分は生まれつききこえないことが当たり前で、それをだめなことだとは思っていない。体の中に、人工内耳を埋めて、激しい運動を制限されたり、スキューバを制限されたりした時に、はじめて『障害者』になる。」という答えを聞いて、そんな考え方があるのか!と衝撃を受けたということでした。しかし、聴力によっても子どもそれぞれ皆違い、きこえないことが生活上危ない、不便という人もいるので、あくまでも”わが息子にとって”だが、人工内耳はしなくてもいいかと思った、ということでした。もし、悩んでいる人がいたら、医者ではなく、ぜひ、きこえない人たちの意見も聞いてほしいと思うというお話をされました。
そして最後に、息子さんが買い物をしたものをお店に忘れ、それを自分でお店の人の所に、一人でとりに行かせた時のエピソードを伺いました。「父親として、どんな逆境でもたくましく乗り越える息子になってほしい」。そう語る父親としての熱いメッセージが伝わってきました。
お二人の体験談から15年経って・・・
以上、要約ですが、二人のパパの体験談を再掲してみました。お二人とも共通に強調されていたことは、「自分がきこえないということをきちんとアピールできる人間になってほしい」(Aさん)、「どんな逆境でもたくましく乗り越える息子になってほしい」(Bさん)ということでした。確かに、今の社会は、まだまだ「障害者を理解し、障害者に優しい社会」からは程遠い、それが現実と思います。そうした社会の中で生きていくためには、自分の「障害を」適切に相手の人に伝え、理解を求め、適切な配慮(合理的配慮)を引き出していく力をしっかりとつけておく必要があります。そして、そのために大事なことは、子ども本人が自分自身を肯定的に受け止め、障害について伝えられる力をつけること、またその力をつけるためには、家族の中で本人が心理的に孤立しないように、父親や兄弟含めて皆が手話を身につけコミュニケーションできるようにし、知識や社会性の広がりを身に着けられるようにすることなどが語られています。いま風に言えば「ディナーテーブル症候群」の問題について、すでにこの頃からしっかりと認識し、家庭の中で実践されていたことがわかります。
このような家庭のなかで育てられた二人の子どもたちは、その後、どのように育っていったのでしょうか? プライバシーの問題でもあるのであまり深く立ち入りませんが、当時小3年であった男の子は、現在(2025)、ある芸術系の大学で造形を学んでいます。また、当時、年長であった女の子は、大学で心理学を専攻しています。二人とも、聾学校を高等部まで在籍し、心の面でも日本語・学力の面でもしっかりと力をつけ、今、通っている大学では周りに沢山の友達もいて、それぞれ楽しく大学に通っているようです。「生計を立てる」だけでなく、「人の役に立ち、次世代のために」、自分が大学で身につけた専門性を活かし、世の中に貢献できる人に育ってきていると実感しています(木島記)。
