この数年の間に、わが国の聴覚障害児早期発見・早期療育のシステムの構築は、確かに大きく前進しました。例えば、早期発見という観点からは、新生児聴覚スクリーニング(新スクと略)の実施率は大きく伸びましたし、早期発見から早期支援へとつなぐために、各都道府県に「相談支援センター」といった部署が設置されるようになりました。国が唱える「切れ目のない支援」のシステムは、かたちのうえでは少しずつ整ってきているようにみえます。
しかし、支援の中身という点では、どこでも充実した相談支援ができているかといえば、果たしてどうでしょうか? 例えば、提供される難聴や難聴児の支援についての情報が偏っていたり、保護者が望む言語へのアクセスとして「手話」を望んだとしてもそのニーズを満たせる専門家がいないといった県や地域もあります。また、確定診断後に紹介される相談機関・療育機関の専門性が必ずしも十分に高いとは言えないことも多いです。さらに、一般的に言えばわが国の療育機関は、「きこえること・話せること」への支援は重視されますが、障害以前に大切なこととしての、親子関係・親子のコミュニケーション関係の構築にあまり目が向いていないような機関も散見されます。
そのような現状の中で、今回紹介するろう学校の乳幼児相談は、人として生きていくための土台を築く時期(「三つ子の魂百まで」=乳幼児相談の時期)に、最も大切な親子関係の構築に中心を据えた支援を行っています。どのような支援なのか、そのろう学校乳幼児相談に所属されている言語聴覚士の関根久美子氏が『聴覚障害』誌(2024年秋号)に投稿されていますので、その記事をご本人の許可を得て以下、紹介したいと思います。
はじめに 都立大塚ろう学校乳幼児相談言語聴覚士 関根久美子
手話も日本語(音声言語と書記言語)もという二言語教育へと、厳しい聴覚口話教育で有名だった大塚ろう学校が舵を切った直後、私は外部専門家として乳幼児教育相談で働き始めました。乳幼児教育相談の深い意味をきちんと理解し支援ができると言えるようになるまでには長い時間が必要で、知識と経験豊富な先生方からの教えと、縁があり出会った保護者とその子ども達からも多くの学びをいただきました。
私はろう学校で働く前は小児病院の耳鼻咽喉科で働いていました。言語聴覚士になる為に通っていた大学院でも聴覚障害についての勉強はしてきましたが、それらの知識では乳幼児教育相談を行うのに不充分であることが直ぐにわかりました。まず、私(筆者)自身が成人聴覚障害者である当事者を知らなかったということが挙げられます。聞こえない・聞こえにくい子どもは聞こえる大人になるのではなく、聞こえない大人になるのですから、大人になった当事者を知らないということでは将来像を描きながらの支援ができないということです。また、言語聴覚士という専門性は時に「聴覚」のみに焦点を当て過ぎてしまい、目の前にいるその子をそのままを見ることができなくなってしまう恐れがあります。聴覚障害があったとしても、その子は聞こえる子と同じ「子ども」である、という視点が大事になってきます。
そして、長きにわたりこの仕事をしてきてわかったことは、「聞こえない・聞こえにくい子どもの将来は乳幼児教育相談で決まってしまう」と言っても過言ではなく、乳幼児教育相談がろう教育の要であるということです。そこでの教育がしっかりなされていれば、それを土台にして親子はその後もしっかり成長していけると思っています。従って、私はこの仕事を私の使命と思い、重責を感じ、今までの先生方の想いを携え、日々試行錯誤しながら支援を行っています。
乳幼児相談とは?
私は10年前に、私の恩師(A先生)から0歳児の支援を引き継ぐことになり、0歳児の支援を中心に行うようになりました。最初にどんな支援者に会ったかによりその後の親子の歩む道が決まってしまうと感じながら、その大事な時期の支援を担っています。
私をここまで導いてくださった恩師は、聞こえない子を育てた母親でもありました。引き継いだ当初、浅はかな私はA先生と同じことをしていると勝手に思っていました。けれども直ぐに「私は何も分かっていなかった」ことが分かり愕然としました。赴任後ずっと乳幼児教育相談で支援をしてきていましたが、自分自身の力不足を目の当たりにし、私のそれまでの時間は全て無意味だったのではないかと思われるほどの衝撃でした。それはA先生が担当していた0歳児の親子のその後の育ちを知ったからです。A先生が担当していた子ども達は、言語発達・コミュニケーション能力・知的な面での発達において、「健常児」と言われる子ども達と遜色ない育ちをしていたからです。1歳前に手話の理解と表出が見られ、1歳後半には二語文から三語文での表出、そして親子で楽しくコミュニケーションが取れるようになり、手話を土台に日本語へと言語が拡がっていき、小学部になるときちんと教科学習についていけていました。その事実を知り、私の中にこそ「差別」があったことにショックを受けました。どこかで「聞こえないのだから」「親も手話を覚えるのに時間がかかるだろう」「親も聞こえないと言われてショックだろうから色々言えない」と思っていたのです。しかし、本当の支援はそうではなく、最初の段階で親に価値観の変換を促し、親に常に聞こえない・聞こえにくい子どもの立場に立つという視点の変換を求め、深い障害理解を与えていくことであり、私は常に子どもの代弁者として親と対峙していくことなのだ、ということも本当の意味で理解できました。
乳幼児教育相談は本当に特殊な部門だと思います。カリキュラムもないので何をしたら良いのか分からない、ただ子どもや赤ちゃんと遊んでいれば良いのだろう、などと思われている方もいらっしゃるかと思います。けれども、もしかしたら一番難しい部門なのではないかと思います。それは、乳幼児教育相談担当者と親の人生観がぶつかり合うところでもあるからです。担当者の人生観が揺らぐと親も揺らぎ、誤魔化しが効かない。担当者自身が聞こえない・聞こえにくいという障害をどのように捉えているのか、そしてどのような価値観を持ちながら支援をしているのか。聞こえることに価値をおいた支援を行ってしまうと、親もそのような価値観で子育てをしてしまうため、いつまでも親は自分達と同じ聴者への憧憬を引きずり続け、ありのままの子どもを受け入れるということが難しくなり、子ども自身も自分の不完全さを感じながら大きくなっていく恐れがあります。 そして、乳幼児教育相談は子どもへの支援ではなく、親への支援を行うところです。親が聞こえない・聞こえにくいとはどういうことなのか。どのように子育てをしていけば良いのか。どのようにコミュニケーションを取っていけばよいのかを親が学ぶところである、ということです。そのために私が気を付けていることは、やり過ぎないということです。あくまでも子どもを育てるのは親。担当者がやり過ぎてしまうと、「学校にお任せすれば良い」となってしまう可能性もあるので、学校が塾のようになってしまわないように、聞こえない子どもをきちんと育てられる親になれるように支援をしています。
手話が誘う聞こえない世界
私は20代を海外で暮らしていました。異文化の中で異言語を使いながらマイノリティとして生きてきたことが、今のこの仕事に役に立っています。異文化・異言語で暮らすということは、時に胸に突き刺さるような孤独と地に足がついていないような感覚になることがあります。私が異文化の中でどうにか暮らしてこれたことのひとつに、自分のアイデンティティがしっかりと確立されていたことが挙げられます。そのアイデンティティの確立に重要なのが「言語」です。
0歳児で聞こえないと言われ乳幼児教育相談を訪れた保護者には手話を学んでもらいます。その手話が聞こえない我が子が住んでいる聞こえない世界への扉を開く鍵となります。その扉の向こうには今まで知らなかった世界が広がっており、知ることで不安が解消されていきます。
三つ子の魂百までと言います。人生の土台となる原風景のような子どもの記憶の中で、子どもとの愛着関係を築くには、聞こえる子どもと同じコミュニケーション体験では育たない恐れがあるとすると、<目の人>である子どもに寄り添ったコミュニケーション方法が子どもにとっては一番安心でき、きちんと情報が伝わる方法であると思います。
0歳児の間に親にできるだけ手話を身につけてもらい、1歳児クラスへ行ったときには子どもとのコミュニケーションで使えるように支援をしています。そして長いスパンで考えた時、将来、この子達が成人し子どもが生まれた時、もしかしたらまた聞こえない子どもが生まれるかも知れない。その時に手話という言語が自然にあったという環境がどんなに幸運なことか分かるでしょう。また、手話という言語があることで子ども達のアイデンティティの確立もスムーズにいくのではと思っています。
真の子育てに目覚める支援を
聞こえない・聞こえにくい子の子育ては究極の子育てであると言えます。“特別なことはする必要はない。日々の子どもとの生活を丁寧にやること”。この丁寧な子育てはどんな子にとっても良い子育てです。 子どもの好きなことは何か、興味を持っていることは何か、どうして今この子はこうしたのだろう、何をこの子は見ているのだろう、何をこの子は考えているのだろうと子どもの様子を観察しながら、子どもの立場に立ってコミュニケーションをとりながら子育てをしていきます。その時に大切なのはこの子の聞こえない世界を常に想像し、通じたという瞬間を積み重ねていくことを大事に関わっていくことです。聞こえる親には手話と音声を同時に使いながらコミュニケーションを取ってもらっていますが、私たち聞こえる人は直ぐに聞こえに引っ張られてしまい、子どもに伝わってはいないのに伝えたような錯覚に陥ってしまうことが多々ある為、きちんと伝わったかを確認しながら子どもに接してもらうことを大事にしていってもらっています。
保護者が書いた生活の記録や手記から
昨年度0歳児クラスに通ってくださった保護者の手記から抜粋して載せます。
“Aとコミュニケーションを取れるようになるのか?”ということがいちばんの心配でしたが、今のAはとてもおしゃべりで表情、手話、音声、指差し、身振りなど、使えるものを全て使って色んなことを伝えようとしてくれています。これからもAの知りたい、伝えたい気持ちを大切にできる接し方を模索していきたいと思います。 |
部屋のおもちゃや絵本を置いておくだけではなく、興味をそそられるように配置したり、常にBの目線になって考えるようにしています。棚の配置も、朝起きたら配置が変わっていたということが無いように、Bのいる所で一緒に模様替えや片付けを楽しんでいます。情報が自然と耳から入らないので、突然知らない場所に連れていかれたり、知らない人が来たという“突然の事態”を防ぐために、写真カード、絵本など、可視化できる物を準備しています。 |
本当に興味があることは何か、伝えたいことは何か、毎日観察しています。娘が納得するまでやらせてみる、とことん待つことも大事にしています。ろう学校で学んだこと、講演会などで聞いていいなと思ったことは直ぐに家で実践しました。まずはやってみる。そして毎日続けることを心がけています。 |
一度やったことを繰り返す。ひよこ組でやったことは家でもやってみる。同じ事を繰り返しやることで成長具合がよくわかりました。一度目ではできなかったことも二度三度やってみることで出来るようになったり、出来なくとも違う発見があったり、ハプニングが起きて新たなコミュニケーションがうまれたり、繰り返すことでいくつものバリエーションが生まれ、コミュニケーションの幅が広がりました。一度にたくさんの言葉かけをするのが私は得意ではないので、前回の反省を踏まえながら少しずつでも言葉が広がるよう意識しました。 |
難聴の子を育てる上でとても大切な丁寧な子育てに聴者、難聴者ということは関係ない!目を見て話す、丁寧に伝える、一連の動きを見せてあげる。(長男が)聞こえる事を良い事に、(聞こえない娘が生まれる)今まで適当な子育てをしてきていたことに気づく事が出来ました。 |
そして、保護者の殆どが「この子のおかげで自分の世界が広がった」「今までの自分のやってきた子育てを反省した」とおっしゃってくださいます。
先日、あるお母さんが「先生、教育ってすごいですね。何にも分からなかった人たちが1年でこんなに成長でき、皆で同じ方向を向いて歩んで行こうと頑張ることができるのだから」と話してくれました。このことばを聞いてとても嬉しく思いました。
最後に0歳児クラスに通っている母親の記録からです。このお母さんはふたりの聞こえない子(2歳児と0歳児)を育てています。聞こえない子が生まれたことで丁寧な子育てに出会えたことを幸運と思ってくださるような、そんな支援を続けていきたいと思っています。
【生後3ヶ月 男児 202×/12/1】 最近はよく笑うようになった。目が合うとニコニコ。こちらが笑うとニコニコ。体を触るとニコニコ。生まれてから一番よくつかっているのは「おっぱい」の手話。ぐずってきたら「おっぱいほしいの〜?」としつこいくらい聞く。反応するわけないのだが、目が一瞬止まるような気がする。 おっぱいを終わる時、C君、なかなか自分で終わらないのでこちらから「おわり」の手話をすることが多い。ゆっくり「おわり」の手話をするとプイッとおっぱいをはずした。「おわり」の手話の後、おっぱいから離される、ということを学び始めているのかも!?反応がなくてまだ面白くないが、自分自身に「積み重ね。積み重ね」と言い聞かせてコミュニケーションを取ることにする。 【202×/12/13の記録】 やっぱり「おわり」を少し理解しているかも。時々、お姉ちゃんとのやりとりに夢中で何も言わずにおっぱいから離してしまう。すると不満げに泣き始める。今日も泣かれた後、しまった!「おわり」というのを忘れた・・・と思ってもう一度おっぱいをくわえさせた後、目を見て「おわりだよ〜」とゆっくり手話しておっぱいから離すと、すんなり外してくれた。生まれて直ぐからの「おっぱい」と「おわり」のやりとりの「積み重ね」、実ってる〜!かも♡ |
参考になる記事
★『0歳児に大切なこと』 https://nanchosien.blog/important-things-0-years-old/