きこえない子の中には、日本語がなかなか覚えられない子が少なからずいます。その原因はまちまちです。
家庭など環境的な要因
例えば、デフファミリーや外国から日本にやってきた家庭などの場合、家庭で使用する言語が日本手話や外国語でしょう。その場合、日常会話の中での日本語の使用頻度が限られるので、日本語が身に付きにくいということがあります。 また、聴者家庭であっても、両親共働きで子どもは毎日保育園に通園。家庭での会話は日々の用を足す会話が精いっぱい。さらに子どもは重度難聴で補聴器装用といった場合、やはり日本語は身につきにくいでしょう。
子ども自身のもつ要因
上記のような環境的な要因ではなく、きこえない子自身がもともと持っている素質的な要因もあります。発達全体の遅れということもありますし、発達全体の遅れはないけれど記憶に関する問題すなわち「ワーキングメモリー」に課題があるために日本語がなかなか覚えられないといった場合があります。
例えば、J.coss等の個別の検査場面で、検査者が問題文を提示しても単語や2語文程度なら検査者を「見続ける」ことができても、3語文くらいの長い文の提示になってくると、「見続ける」ことが出来ず、答えの手がかりを探して目をそらしてしまうなどのことがみられる子たちです。最後まで検査者の問題提示を見て文を記憶するといったことが苦手なのです。
今回と次回は、このような「ワーキングメモリー」に課題がみられる子どもについて、どうやって日本語の単語や文の記憶向上や頭の中での記号や言語を操作する力を高めるかについて考えてみたいと思います。
ワーキングメモリーとは?
まず、「ワーキングメモリー」とは何かということですが、ワーキングメモリー(working memory=以下WM)とは、情報を一時的に記憶し、その情報を頭の中で様々に作業・処理できる力のことで、「脳の中の作業台」とか「脳内のメモ帳」に例えられたりします。
脳内の作業台が広ければ、多種多様な作業を同時に並行して進めることができますが、作業台が狭いと作業の量は限られてしまいます。つまり、ある程度の広さの作業台であれば、次のような情報処理作業が同時に可能になります。
・情報の保持・・・必要な情報を短時間記憶する
・情報の処理・操作・・・記憶した情報を処理する
・注意の配分・・・複数の情報に注意を向ける
先に例を述べたJcoss検査場面での子供の例でいえば、検査者の出した問題を短時間記憶しておき(情報の保持)、記憶した問題に回答するために、提示された選択肢から答えを探しだす(情報の操作・注意の配分)という行動が、作業台が小さいために、同時にはうまく進められないという問題が起きるわけです。
これに対して大人のWMの容量は大きいので、例えば、私たち大人は、夕食の準備をあれこれ同時に進めながら次の献立を考えたり、お風呂を沸かしたり、洗濯機を回したりなど同時に進めることができます。いわゆる「ながら」行動が出来るわけです。
言語的ワーキングメモリー

WMの力は、きこえない子の言語習得とくに日本語の習得に関係します。聴覚障害があり、聴覚を通して入ってくる音声情報の処理に限りがあると、「音声として」入ってくる日本語はなかなか覚えられません。上の図はワーキングメモリーの機能を図にしたものです。この中に「音韻ループ」という機能がありますが、この機能がうまく働かないわけです。
音韻ループ
音韻ループとは、日本語の単語を覚えたり、文を読んだり、会話で相手の話したことなど言語情報を、音声を使って頭の中に保持する機能です。例えば、単語や電話番号などを覚えるとき、頭の中でその言葉なり数字などを繰り返して言い(リハーサル)、記憶を保持しようとする力がそうです。この「音韻ループ」を使う力が、聴覚障害があるとうまく使えないわけです。
視空間スケッチ(メモ)パッド
ではその弱点を補うために、きこえない子はどうしているのかというと、代わりに視覚情報を使うわけです。このような視覚情報を処理する機能を「視空間スケッチ(メモ)パッド」(上図参照)といいますが、視覚的なイメージや空間的な情報など、見たものを一時的に記憶し操作する力のことです。例えば、旅行の景色、映画のワンシーン、部屋の机や物の配置など、あとで思い出すときの視覚的イメージの力です。ただ、あとから思い出すためには「長期記憶」とくに「エピソード記憶」(上図参照)の力が必要と考えられています。ですから、例えば「エピソード」といった初めて知ったことばを、後で尋ねると「エピドーソ」や「エピドソー」になったりする聞こえない子がいますが、音韻情報がうまく使えないとこのような誤りが生じます。「音韻ループ」を使用している聴児には生じない誤りです。
*エピソード・バッファ・・・上記二つを結び付け、時系列に沿ってまとめた記憶を形成する。映画や小説のあらすじを思い浮かべたり、より多くのデータを関連付けられるのはこの力。
このようなWM上の問題があるために、聴覚障害児は、音韻情報と結びついている言語的ワーキングメモリーに課題が生じ、結果的に日本語が身につかないということ生じます。そのため、聴覚口話法では、聴覚活用、発音・発語指導、読話指導といった、音韻ループを使う練習を徹底してきたわけです。
ワーキングメモリーと日本語習得の関係~二つの検査から考える
そこで今回と次回は、日本語習得に関する聴覚障害幼児(聾学校幼稚部在籍)の課題について、幼児期に使う言語検査の「Jcoss(ジェイコス)日本語理解テスト」と発達検査「WISCⅣ(ウィスク4版)」という二つの検査を使ってもう少し掘り下げてみたいと思います。
Jcossについて


上の図(図1,2)はX聾学校幼稚部で、この数年の間にやったJ.coss(日本語理解テスト)の結果です。一つ目の棒グラフ(図ー1)は、6年間に実施した幼児(全38名)の年度別の平均通過項目数です。年中の時に実施したJcossの平均通過項目数(黄色棒線)とその1年後に実施した年長の時のJcossの平均通過項目数(水色棒線)です。
例えば、令和元年度(2019年)の年中児(10名)の平均の通過項目数(黄色棒グラフ)は2.0項目(単語レベル)ですが、1年後(水色棒グラフ)は3.4項目(単語レベル)。1年後の伸びはプラス1.4項目です。
そして、2019年から2024年までの38名の幼児の平均は、いちばん右の棒グラフで、年中時平均が2.9項目(オレンジ色棒グラフ・単語レベル)、年長児の時の平均が5.8項目(青色棒グラフ・語連鎖レベル)となっています。日本の平均的な聾学校です。
二つ目の円グラフ(図ー2)は、年中時実施のJcossの到達レベルから、比較的日本語の単語習得レベルがよいグループ(Jcoss通過2項目以上)とやや習得度が少ないグループ(Jcoss通過0~1項目)の二つの群に分けたものです。年中段階でJcoss通過2項目以上の子どもたちが全体の約4割(Jcoss・日本語良好群)、それ以下の子どもたちが6割(Jcoss・日本語課題群)です。 やや厳しめの子の方が多いのがわかります。具体的に言えば、これら6割のJcoss課題群の子どもたちは、例えばJcossの名詞問題「くつ、とり、いぬ、りんご」の4つが日本語で理解できたかできなかった子たちということです。聴児であれば年中さんで知らないことばはないでしょう。Jcoss課題群の子たちはこれらの単語も曖昧な子たちです。WM(ワーキングメモリー)に問題があって身についていないのか、それ以外の問題なのか、それを考えてみたいと思います。
WISCⅣ下位検査「ワーキングメモリー・数唱」~4割の幼児が課題あり
WMをみるために、ここでは対象幼児が全員実施しているWISCⅣのなかの下位検査「数唱」を使用しました。年中時に実施したJcossと年長時に実施したWISC検査の間隔は3か月ほどなので、比較することに関してとくに問題はないと思われます。
WISCの下位検査「数唱」問題は、二つの問いがあって、ひとつは「順唱」で、例えば、数字を「1・3・2」と提示して、そのままの順で再生を求める問題です。「順唱」については、最大桁数は2~6桁と個人差はありますがどの幼児もできており、短期記憶が全くできないという子はいませんでした。ですから一応、全員、短期記憶は可能ということになります。
もう一つは、逆順(2・3・1)で再生を求める「逆唱」問題です(この記事冒頭の図にある、①と②の問いです)。「順唱」問題は単純に「短期記憶」をみる問題、「逆唱」問題は数字の変換操作が加わるので「ワーキングメモリー(WM)」をみる問題と考えられています。
本記事では、「逆唱」が2数字以上可能(例「1,5」→「5,1」)であった幼児をWM良好群に分類し、2数字の逆唱が全く出来なかった子をWM課題群として分類しました。その結果、WM良好群が24名(63%)、WM課題群が14名(37%)で、4割近い幼児にWMの課題があることがわかりました(図ー3)。
さらに、図ー2において、日本語習得に課題のある幼児(Jcoss通過0~1項目)が23名いましたが、これらのうち半数の11名はWMにとくに問題はなく、日本語習得に課題のある子の半数12名にWMでの課題(WISC数唱の逆唱が困難)があることがわかりました(図ー4)。


また、このWMの結果と年中時のJcossの通過項目数(=日本語語彙力)との関連から以下のことがわかりました(図ー4)。
①WM良好の幼児(24名)を、日本語習得(=JCOSS通過項目数)との関連でみてみると、年中時においてJcoss通過項目数が0~1項目通過で、WMは良好なのに日本語に課題がある子たち11名(黄緑色棒グラフ)と、WMも日本語習得も良好な子たちが13名(水色棒グラフ)と、ほぼ半々に分かれるということがわかりました。WMがよくても日本語に課題をもつ子たちが3分の1ほどいることになります。
②一方、WM課題ありの幼児(14名)では、日本語に課題ありが12名(86%)、日本語良好が2名(14%)と、圧倒的に日本語課題群のほうが多いということがわかりました。WMに課題があると日本語へも影響することが推察されました。
③以上のことから、日本語習得に課題のある子どもたち(23名)の約半数11名はWM以外の要因によって遅れが出ていること、残り半数の12名が、WMが関与した遅れの可能性があることがわかりました。
WM(ワーキングメモリー)は、日本語の伸びに影響を与える?

年中段階でWMに課題がみられた子の多く(86%)に、日本語習得に遅れが出ていることがわかりました(前項②参照)が、では、この子たちは1年後(年長時)の日本語習得にもマイナスの影響が出るのでしょうか? 前項(図ー4)でわかった3つのグループについて、年中から年長にかけての1年間のJcossの伸びをみてみました。(注:WP課題・日本語良好群は2名のため比較からは削除)
3つのグループは、以下のグループです。但し、WM課題・JP良好グループは2名なので比較から除外。
・WM課題・JP(日本語)課題グループ(図4棒グラフ赤色の子ら12名)=図5左端の棒グラフ
・WM良好・JP(日本語)課題グループ(図4棒グラフ黄緑色の子ら11名)=図5真ん中の棒グラフ
・WM良好・JP(日本語)良好グループ(図4棒グラフ水色の子ら13名)=図5右端の棒グラフ
これらの比較から以下のことがわかりました。
①図5左端の棒グラフより、年中時にWMに課題があり日本語にも課題のある子どもたち(12名)は、1年後のJcossにおいても十分な伸びがみられませんでした(年間の伸びは+0.6項目に留まりました)。簡単な名詞が習得されている程度で、形容詞、動詞の単語、2語文などまだ習得できていません。これらの子どもたちは、WM向上の視点からも日本語習得のために指導・支援していく必要があると思われます。
②図5真ん中の棒グラフより、WM良好だが年中時に日本語に課題がある子どもたち(11名)は、年中から年長にかけて2.7項目伸びており、Jcoss名詞、形容詞、動詞の単語問題はクリアしていますが、年長段階でのJcoss到達度としては、やはり厳しめの段階であることには変わりはありません。家庭での子どもとの関わり方の改善や、豊かな概念を身につけるための取り組みの工夫や会話の充実、絵日記、ことば絵じてん、絵本の読み聞かせなど、環境的要因を検討・改善する必要があるように思われます。
図5右端の棒グラフより、WMも良好で日本語も良好な子どもたち(13名)は、年中時にすでに平均6.4項目の語連鎖段階であり、1年後にはさらに4項目伸びて10.5項目(文法段階)に到達しています。これらの子どもたちは、聴児と変わらない日本語習得レベルにあり、WM,日本語の両面での大きな課題はないと思われます。
ここまでのまとめ
以上のことから、年中児38名中日本語習得に遅れが生じている幼児が23名おり、そのうちの約半数(11名)に、ワーキングメモリーに課題がみられました。また、これら11名の幼児は、その後の日本語の伸びも緩やかで、1年後の年長段階になってもなおJcoss通過項目数は単語段階の「名詞」レベルにとどまっている幼児が大半でした。
WMが小さいために、日本語の単語を覚えるということが困難になっているのではと想像されます。こうした子どもたちは、心的に負荷のかかる活動、例えば指文字で日本語の少し長めの単語(例えば「パイナップル」など)や3語文とか4語文などいくつかの単語が連なった文を読むなどの場面では、すぐにワーキングメモリーの容量がいっぱいになってしまい、注意を持続させることが難しく、散漫になってしまうことが多いです。このような子どもたちにどうやってワーキングメモリーを強化し、日本語の単語や文を読んだり覚えたりする力につなげていけばよいのでしょうか? 次回は、その方法について考えてみたいと思います。