アドボカシーとセルフ・アドボカシー
「アドボカシー」(advocacy)とは、ある人の生活や権利を守るために、本人に代わって意見を述べることを言いますが、セルフがついて「セルフアドボカシー」(Self advocacy)となると、「自分で自分の生活や権利を守るために、意見や要望を述べること」という意味になり、一般的には、障害ある人が自分の困り感や不利益を解決するために、必要な支援や配慮を求める行為・活動のことを指します。
聴覚障害児・者は社会の中では少数派ですから、声をあげない限り、多数派の「当たり前」がそのまま通ってしまいかねません。そのために、自分にとって不利なこと、不便なこと、理不尽なことが解決できないことになります。
例えば、私の知り合いの難聴大学生Aさんは、ある企業の就職試験を受けました。そこで言われたことは、「うちの会社は障害のある・なしで差別しません。障害のある人もない人も平等に、同じように働いてもらいます。」という言葉だったそうです。その言葉に感動すらしたAさんは、その企業の採用試験に合格し入社しました。
給料のよい、米国に本社のある大企業です。しかし、入ったところまではよかったのですが、本当に会社は何もしてくれません。入社式には、映像・字幕、手話通訳等の情報保障は一切なし。新入社員の研修も、配属された部署での朝の打ち合わせも全て口頭のみ。誰も何も教えてくれない。万事がこのような感じで、Aさんは、入社したことを後悔しましたが、ここから一念発起。どうすればよいかを考えました。まず、朝の打ち合わせをどうすれば自分にもわかるようになるか? それまでは打ち合わせが終わった後に記録係の書いたメモを見せてもらうだけでした。しかしこれでは決まったこと・結果だけはわかりますが、決定までのプロセスには参加できません。そこで考えたのは、朝の打ち合わせは自分で司会をするということ。これなら、決定までのプロセスを自分である程度コントロールできます。この提案はすぐに受け入れてもらえました。合理的な理由さえあればいくらでも受け入れてくれる、しかし要望しない限り何もしてくれない。これが米国系企業なんだと実感しました。その後もAさんは他にもいろいろな対応策を提案し、検討してもらい、その会社に適応していきました。大勢が集まる会議や研修の場では、予算の関係もあってさすがに手話通訳をつけるところまでには至りませんでしたが、社員が交代でパソコン通訳をつけてくれることは実現できました。セルフアドボカシーの力を発揮できた例と言えるでしょう。
「差別なき平等」は本当に「平等」か?

Aさんの会社は、「合理的配慮」(障害者の要望に、過度な負担にならない範囲で適切な配慮・支援をすること)の訴えにちゃんと応えてくれる企業でしたが、残念ながら現実は全ての会社がそういうわけではありません。「障害のある・なしで差別しない」という言い方で、障害に応じた配慮は一切しない。聴者と同じにするのが「平等」。あなただけ「特別扱い」はしません。それは平等ではないから、という論理で、障害者の受け入れに消極的な企業はまだまだあります。
社会は障害のある人ない人いろんな人がいて成り立っています。しかし、その違いを認めず、健常者と同じようにするのが「平等」と考えると、難聴者は聴者と同じように「聴いて話す」のが当然ということになってしまいます。確かに、軽中度難聴者だけでなく、人工内耳によって高度・重度難聴でも日常会話が基本的に音声だけでできる人も増えてきました。例えば、ある企業でイベント開催や広報の仕事をしている池田優里さんはその一人です。彼女は発音も明瞭で「聴者」かと思うくらい、対面での会話が出来ます。しかし、あらゆる場面で聴者と全く同じに出来るかというと、両耳に人工内耳を装用していてもやはり限界があります。そこで彼女は、
①話しかけるときは右側から話しかけて下さい。
②電話は出来ません。
③大事なことはメールやチャットでお願いします。
この3点を周りの人に常に言っているそうです。
一見、聴者と変わらないような会話が出来たとしても、それは聴者と同じレベルになったということではなく、障害に応じた「個への配慮」はやはり必要なのですが、ここが一般の人にはなかなか理解しづらいところです。「両耳に補聴器(CI)しているんだからきこえているよね」(補聴器を眼鏡のように思っている誤解)、「話せているんだからきこえているよね」(話せることと聴くことがイコールと思っている誤解)等々。こうした誤解を解くためにも、周りの人たちの障害理解のための働きかけは必要です。
幼児期につけておきたい力は?


さて、ここからが本題ですが、こうした現実に対応し、起こってくるさまざまな誤解を解き、必要な配慮や支援を引き出すことができることつまりセルフアドボカシーの力を、私たちは小さい時からどう育てていけばよいでしょうか?
今、我が国には「日本版セルフアドボカシーチェックリスト」(木村・藤吉ら2020)というのがあります。これは①医療・健康、②補聴機器の理解・使用、③専門機関とのつながり・情報活用、④コミュニケーションという4つの分野についてみていますが、セルフアドボカシーの力は、対他者との関係性の中で発揮されるものである以上、④のコミュニケーションという部分が心の発達とか人間関係の形成といったことも含めて、最も重要だとは思います。そして、幼児期から育てていくセルフアドボカシーにつながる力はこの部分だろうと思います。では、幼児期において、④につながる人間形成の土台づくりは、どんな力のことでしょうか? 思いつくままに、少し具体的に言えば、
①乳幼児期からの愛着関係の形成により、「私は愛されている」(I‘m O.K)という自己肯定感の土台を育む。
②それによって自己の障害を否定的にみない自己認識を育てる。
③幼い時から自分で選択し自分で決める、主体的な力を育てる。
④家庭内でのコミュニケーションや人間関係に配慮し、「他者の思い」を想像できる認知的共感の力を育てる。
⑤集団内での子ども同士での関わりの中で葛藤や躓きを経験しつつ人との関わり方を学ぶ。
これが全てかどうかわかりませんが、幼い頃は、将来のセルフアドボカシーの力の土台となる心の発達や対人関係能力の育成にしっかりと目を向け、伸ばしていくことが大切かと思います。とくに、④の「他者の心の想像」である「認知的共感」が苦手とされており(2012、感覚器障害戦略研究)、確かに、幼児を対象とした「心の理論」の検査の中で、私もそれを実感してきました。
この点については、幼児期からの家庭内での会話のあり方に焦点をあて、「あなたはそう思っているんだね。でもママはこう思ったよ」「パパはどう思っているのかな?」など、他者の心について想像させる会話がもっと必要と思いますし、「ディナーテーブル症候群」が生じないような家庭内コミュニケーションのあり方を考えていく必要があるだろうと思います。(*これらに関しては、この記事の最後のところを参照してください)。
さて、以下に紹介するのは、ある難聴児の保護者が、子どもが幼い時からセルフアドボカシーという視点で具体的にどんなことをされてきたのか、それを簡単にまとめて下さったものです。このようなことを意識して取り組んでいる方は、まだまだ少ないように思いますが、将来に繋がる大事な力だと思います。ぜひ、参考にしていただくとよいかと思います。
『セルフアドボカシーについて』~ある保護者の実践
「子供が産まれてすぐに難聴だと分かりました。そして、比較的早い段階で、音のある世界で育てよう、と決めました。 その為には何が必要なのか?を探っている中で、セルフアドボカシーに辿り着きました。
幼児期のセルフアドボカシーとしては、『補聴器や人工内耳の管理が自分でできるようになること』が多くの書籍等で挙げられています。難聴である自分にとっては、補聴器あるいは人工内耳は大事なものだと認識するためにも必要なことと理解できます。
確かにそういったハード面はもちろん重要ですが、ソフト面としてはどうなのか?という疑問が常にありました。子供自身の内面的なものにアプローチできる方法はないのか?を探していました。
自分の難聴について理解し、それを周囲の人に配慮を求められる、その言語力があったとしても、思春期によくあるような「他と同じが良い」「目立ちたくない」などの気持ちを乗り越えてほしい思いがありました。
ある勉強会で、大学生となった難聴当事者の話を聞く機会がありました。大学へはノートテイクをお願いしたり、先生にロジャーを渡したり、友人たちへの自己紹介では自分の難聴について説明をしたりしているという内容でした。自分の難聴を受け入れ、自分にとって必要な配慮を自分自身で求める事ができる。健聴の世界で暮らす難聴者として、保護者の私が求める、理想の姿をそこに見ました。その当事者の姿を見て感じたのは、自己肯定感を強く持っていること。では、難聴児の自己肯定感を高める為には何ができるのか?
以下は、これらをキーワードに、取り組んだこと、取り組んでいることの一例です。
難聴であることに対して劣等感を抱いたり、自他意識が芽生える前に
① 朝、補聴器をつけるときに
「〇〇ちゃんは難聴だから、補聴器をつけるんだよ」 と言い聞かせてきました。
② 友人に、難聴について明るくオープンに話す(その姿を見せる)
③ 補聴器を目立たせる、隠さない
「かっこいいでしょ」とお友達にも言う
④ なんで難聴なの?の問いには、事実を伝える
「お父さんとお母さんの、難聴遺伝子を受け継いでいるんだよ」
聞き取れなかった理由を知ることで同様の場面で配慮を求められる
⑤ 聞こえなかったであろう場面は、理由を言葉にして聞かせる
「遠いから聞こえなかったね」 「声が小さくて聞こえなかったね」
「周りがうるさくて聞こえなかったね」 「外だと聞こえにくいよね」
⑥ ロジャーを使うことで、聞こえるのが当たり前の日常を過ごす
使用開始は3歳から。
参考までに、我が子の聴力は中等度難聴、聴覚優位です。聴覚優位が分かってから、より聴こえる環境づくりに注力しています。」
☆参考書籍『聴くことで世界が広がる!難聴児の豊かな子育てガイドブック』、スーザンレイン他著、ココ出版、2640円
手記を読んで思ったこと


まず、第一に保護者が大事にされたことは、難聴であることは身体的な差異という「事実」であり、決して恥ずかしいことや隠すこと、「劣等感を抱く」ことでない、という認識を幼い頃から育てるよう関わってこられたことです。それがお子さんの「自己肯定感、自尊心、自信、自己効力感」に繋がっていると思います。
二つ目は、他人に自分の障害について伝えるには、まず現実に起こっている自分の障害について自分で知らなければなりませんが、これは本当に難しいことです。その理由は、難聴という障害は、なぜ本人でもわかりにくいのかいくつかの特徴があるからです(上図・添付ファイル参照)。でも、幼い時から、今あなたはこういう状態にいるよね。それがあなたのきこえにくさの特徴なんだよ、ということを、その子にわかるように「今、ここ」でリアルタイムに言語されていることはとても大事なことです。このような積み重ねの上に、将来、添付ファイル(下図)のような難聴学級や通級学級での「自立活動」の授業の中などで、自分の障害について振り返る時が来た時、大いに役立つのではと思います。(木島記)


参考になる記事
☆『なぜ、難聴児は「心の理論」の獲得が遅れるか?
https://nanchosien.blog/theory-of-mind/#theory-of-mind1
★『ディナーテーブル症候群』~マイノリティ体験を通しているきこえない子の疎外感
https://nanchosien.blog/dinnertable-syndrome/#dinner-table
☆『ろうの弁護士・田門浩氏の保護者向け講演より』
https://nanchosien.blog/deaf-lawyer/#tamon-hiroshi