当事者の講演記録を整理していたら、障害者差別解消法が施行された2016年に、ある聾学校で保護者対象に行われた田門浩さんの講演記録が出てきました。田門さんといえば聾者の弁護士として有名な方ですが、今は、田門さんだけでなく、松田崚さん、若林亮さんなど聾者の弁護士のほかに難聴・中途失聴の弁護士を含むと11人の方がいらっしゃるそうです。
3人の聾の弁護士の中で最初に弁護士になられたのが田門さん。今回は、聾学校の保護者対象に行われた講演の記録からそのときの話を紹介したいと思います。なお、当日は中学部生徒も参加し、質疑応答の時間には次々と質問が出て、賑やかな会となりました。どのような質問にも笑顔で、優しく答えて下さる田門さんの姿に、その誠実で、優しいお人柄が伝わってきました。
1967年生まれ 水戸、千葉、札幌、筑波大学附属ろう学校に通いながら、乳幼児期から中学部までろう学校で過ごす。千葉県立高校卒業、東大法学部を経て1991年より5年間千葉市役所に勤務。司法試験に8度挑戦後、合格。1998年より弁護士登録。東京弁護士会、青年法律家協会に所属。また、日弁連人権擁護委員会障がいを理由とする差別禁止法制に関する特別部会や高松手話通訳派遣拒否違憲訴訟弁護団などで活躍されています。
*左の写真は、田門浩氏ホームページ・プロフィールより借用。
幼い頃の思い出
田門さんは幼い頃から聴力が130dBの重度難聴者。当時のろう学校で受けた教育は聴覚口話法による教育だったそうですが、お母様は学校の教育方針には従わず(130dBの聴力で聴覚口話法で音声言語習得は無理と直感的に判断されていたのだろうと思います)、指さし、身振り、空書を使って田門さんに語りかけていたそうです。空書というと、文字を空間に書くことですが、文字が読めていて、空書が理解できていたのかを尋ねると、どうも文字と空書と同時に覚えていったのではないかとのこと。つまり、「いぬ」という文字が読めているから、空書で「い」「ぬ」と綴られた時に犬と言っているのだとわかるのではなく、犬の絵や、本物の犬を前にしてお母さんが「い」「ぬ」と毎回、繰り返し空書で綴るその形に意味があることを理解し、記号として取り込んでいった、そして、同時に「いぬ」という文字とも照合して、日本語を獲得していったのではないかとのことです。田門さん自身、空書を読むことは大変だと話されていますが、生まれた時から視覚を頼りに情報を取ろうとしていた重度難聴児だったから「空書をことばとして理解する」ことを可能にしたのかもしれません。いや、田門さんの元々の能力の高さがそれを可能にしたのかもしれません。いずれにせよ、口話ではわが子がわからないのではと判断し、わが子の教育は自分が!という思いで、目から文字で日本語を入れる教育を徹底されたお母様には頭が下がる思いでした。田門さんによると、小学校に入る頃には妹が生まれたので母は忙しくなり、あまり手をかけてもらえなかったそうです。
しかし、まだまだ障害者に対する差別も根強い時代でしたから、一般の高校や大学に入る際に断られ続けたことに対しては、田門さんの夢を叶えるべく、お母様が学校に色々お願いをして動いてくれたそうです。肝心なところで力になってくれたお母様のサポートに感謝し、お母様を喜ばせたい一心で勉強した思いも語ってくれました。10歳でお父様が病死されてからは、お母様が一人で二人のお子さんを育ててきたとのこと。母の苦労を見ながら、母のように弱い立場の人を助ける仕事に就きたいと思ったそうです。田門さんは、「子どもとなんでもよく伝え合える、そんな親子になってほしい」と保護者に語ってくださいました。
弁護士としての仕事
弁護士である田門さんの顧客は8割が聴者、聴覚障碍者は2割に過ぎないとのことでした。これは意外でした。田門さんは、仕事では必ず手話通訳を自身で雇い、常に一緒に行動しているとのことです。田門さんは裁判で、全くタイムラグを感じさせないスピードで手話通訳を介してやり取りをするそうです。また、18年間に550人の依頼者がいたそうですが、負け知らずで、勝訴ばかりだったとのこと。仕事で一番大変なのは電話。とにかく毎日電話が多く、その対応が大変だそうです。もちろんこれも手話通訳と共にこなしているそうですが、田門さんは手話通訳がいれば、弁護士の活動に限界はないと断言されていました。こうしたご本人の経験から、是非手話通訳をうまく使ってほしいと話されました。自分で必要な時に依頼する方法、通訳と打ち合わせをきちんとすること、通訳が自分の考えをきちんと伝えてくれるよう、整理して話す力もつけるべきだと話されました。田門さんは、2~3時間の研修会の講義を受ける際に、通訳ばかり見ているとノートがとれないが、後で見直して学ぶ必要があるため、通訳から目を離さず話を聞いて(見て)、手元を見ないで書き取るスキルを身に着けたそうです。
コミュニケーション力の大切さ
手話通訳にきちんと自分の話を通訳してもらうために、田門さんは日々心がけていることがあると講演が終わってから話してくださいました。それは、「区切って話す」ということでした。長文で長々と話すのではなく、切りの良いところで話を切って話すように心がけているそうです。また、講演の中では順序立てて話すことの必要性も強調されました。話があっちにいったり、こっちにいったりするのではなく、聞き手が理解しやすいように話すということだと思います。それは文脈に沿って、またいつ、どこで、誰が…というように5W1Hに沿って、時系列に沿ってという意味が含まれると思います。こうした誰が聞いてもわかるように話すということの大切さを話されたわけですが、その際に使われるコミュニケーションのモードは、音声でも対応手話でも、日本手話でも、その人に合った方法でいいということでした。相手に伝わる話と言うのは、声で話せば大丈夫ということではなく、どのような手段であっても、その表現の仕方が大切なのだということでしょう。「口話はできない」と自称される田門さんですが、こうして、社会でたくさんの聴者を相手に、手話通訳と筆談によってコミュニケーションを成立させ、弁護士という大変な仕事を成し遂げていらっしゃいます。きれいに話せていると素晴らしいと評価してしまいがちな聴者の価値観に対して、田門さんはそうではなくて中身なのだ、どのように自分が伝えたい言語(手話)を持ち、それを用いて理解し、表現し、思考することが大切なのかを身をもって証明してくださっていると思いました。田門さんはこうした相手に伝わるように話すことに加えて、相手の話を最後まできちんと聞くことの大切さも伝えてくださいました。自分の言いたいことだけ話して、相手の話が聞けないのではいけないということ、相手の話を「聴く」という言葉には、相手の話を理解するだけでなく、相手の言葉の背景にある心、思いや考えを読み取ること、相手の話を聴こうとする気持ちが大事であることが含まれています。ことばの力、人と関わる力、相手の気持ちを思いやりながら聴く力の大切さです。田門さんの思いはそこにあり、それを含めてコミュニケーション力とおっしゃっていました。相手への配慮を欠かさないアサーション・スキルです。
ロールモデルの大切さ
田門さんは、ろう学校で育って本当に良かったと話されました。その理由として、ろう学校にいたから「自分はろう者だ」と自信をもって言える。また、「だから手話が必要だ。」「きこえないから困っている。」という話が、当事者である自分でできるから良かったとのことでした。もし、これが聴者の学校にいたらそうはいかなかっただろうと話されました。そして、もう一つの理由は、ろうの先輩に会えたことだそうです。田門さんにとっては、中学部の時にろうの先生がいて、その先生にあこがれ、その先生と話すことできこえない自分に自信がもてたとのことです。つまり、「あんな風になりたいな。」と思えるような人をロールモデルといいますが、ろう者である田門さんにとっては、ロールモデルがろう学校で出会った先生であり、弁護士になりたいという夢をもつきっかけとなったのは先輩の聴覚障害者の弁護士、山田裕明氏だったそうです。是非こうしたきこえない先輩に出会うチャンスを作っていくとよいと思います。
差別とのたたかい
「聞こえない」というだけでほとんどの高校に受験することを断られましたが、ろう者の卒業生がいる一校だけが受け入れてくれたそうです。大学も同じで、学費の安い国立で、司法試験の合格率が高い東大を受けようと思った際に、最初は聞こえないから無理と断られたとのことでした。強く要望して叶ったものの、手話通訳はつけられないと言われ、友人のノートテイクに頼りながら2年間を過ごしたものの、情報が十分に入らず、関東学生情報保障者派遣委員会に通訳を依頼し、学べるようになったとのことでした。そして、発音が苦手な田門さんが、司法試験の口述試験では、口頭で答えることは無理なので筆談をお願いしたところ叶わず、何度も要望し、ようやく筆談を認められたとのことでした。「あきらめない」ことの大切さも教えていただきました。就職先を探した際にも、聞こえない弁護士を受け入れてくれる法律事務所はなかなか見つからず、やっと今の職場で受け入れてもらえたとのことでした。2016年4月から障害者差別解消法が施行されましたが(そして2024年4月からすべての「事業者」が対象)、おそらくこれからは学校でも会社でも、あらゆる所でそれぞれの聴覚障害者が必要とする情報保障が受けられやすくなるはずです。こうした先駆者達の運動、活躍があって築き上げられたことを忘れずにいたいものです。田門さんの講演を伺って、「きこえないからできないことはない。」という勇気をいただけた気がします。子ども達がこれから持つであろう夢に向かって、今何ができるのか、今何が大切なのか、たくさんヒントをいただけました。是非それをこれからの子育てに活かしていただきたいと思います。