今回は、沖縄タイムスで連載されている「ことばを みせて~聞こえにくさと生きる」の記事(2026.4.10)から紹介します。この記事では、那覇市立石嶺小学校3年のSさんのことがとりあげられています。以下、記事をかいつまんで紹介します。
『髪、下ろす。耳隠すため』
「Sさんは、おへそ近くまである長い髪を絶対に結びません。うだるように暑い夏の日でも。理由は、周りの人に補聴器を見られたくないのです。「見られたらどう思われるのだろう?」「きこえる人と違うと思われたくない」「みんなと同じようにふるまっていたい」・・・。理由はいろいろとあるでしょう。
小学校3,4年くらいになると、誰でも他者の視線が気になり始めます。見た目の違いが自分と他者との「違い」を際立たせ、それが自己肯定感を下げることに繋がります。これは多くの難聴児が経験することです。Sさんもそんな年齢です。
『宮城選手の一言。心に変化』
そんなSさんは、2025年秋、デフリンピックのサッカー選手である地元出身の宮城美来選手のことを知ります。「聞こえなくても試合に出れるの?」とSさんは驚きます。そして先生に勧められて手紙を書きました。「全力を出して勝てるように応援しています。」続けて「質問です。聞こえにくいことはいやですか?私はいやです。会ってお話がしたいです。」
・・・そして、2026年1月に、真っ赤なユニフォームを身に着けて宮城選手が来校。宮城選手の髪は肩に付くくらい。ひとつ結び。「小さい頃は『ちびまる子』みたいなおかっぱ頭。いつも耳を隠していました。補聴器が恥ずかしかったんです。」Sさんはびっくり。「今の自分と同じだ!」 宮城選手は続けます。「耳を隠すのをやめたのは、髪が補聴器に当たってよく聞こえなかったから。おかげで、補聴器を着けているんだから聞こえにくいんだろうと気づいてもらえるようになった。筆談しようと言ってくれる人もいる。
・・・補聴器はメガネと同じです。メガネがないと見えないし、補聴器がないと聞こえない。耳を出して、『私は聞こえない』ってみんなに見せてください。」
宮城選手の来校から数日後。Sさんは髪を下したまま。でも、下を向いた時、さらりと顔にかかる髪をそのままにせず、手でかき上げました。Sさんは「同じクラスの友達になら、補聴器が見られてもいいよ。」
宮城選手との出会いをきっかけに、Sさんも少しずつ、気持ちに変化が起こり始めたようです。
以下、沖縄タイムスの記事に関連して筆者(木島)が思ったこと、そして、本人が自分の障害をどう考えていくか、そして周囲の人とどう関わりどうコミュニケーションをとれるようになっていけばよいのか、それを周りの私たちはどう支援・指導していけばよいのか、そうしたことに少し触れてみたいと思います。
きこえない子にとってのロールモデルの意味
Sさんが、宮城選手との出会いをきっかけにして、少しずつ気持ちに変化が起こり始めたようですが、自信をもって社会で活躍している同障者と出会うことは、将来の自分の生き方を考えるうえで、とても大きな意味があります。
最近は、テレビのニュースやドラマ、手話講座等でもしばしばきこえない人が登場しますし、また、インスタグラムやユーチューブなどでも積極的にきこえない人が発信していますから、自分以外のきこえない人を全く知らないままに育つ、ということはむしろ少ないでしょう。
しかし、ほんの一昔前まで、自分以外のきこえない人と出会ったことは、友だちを含めて全くない、という人は決して珍しくありませんでした。例えば、30年ほど前のフランス映画『音のない世界で』(94年ボンベイ国際映画祭グランプリ作品)の中で、大人になったきこえない人を「全く見たことがない」という聾の女の子が登場します。彼女は「きこえない人は大きくなるまでに皆死んでしまうに違いない。だから大人の聾者に出会うことはないんだと思っていた」と述懐する場面があります。今ではとても想像できないことですが、SNSのない時代には決して不思議なことではなかったのです。
聾者と手話を否定する時代の中で~90年代の調査から
30年前といえば、日本も含めて世界はまだ聴覚口話優位で、聴者をモデルにして、聴者のようになることめざすという教育が主流でした。このような教育環境の中で育った人の中には、自分の「障害」を否定し、自分がきこえない人間だということが周りにばれないようにしている人たちもいました。以下は、筆者(木島)が1990年代に行なったアンケート調査(未発表)からの引用です。
| ①『ちょっときこえにくい健聴者』と周りに思われるようひたすら努力していました。周りに違和感を感じさせないよう気を使いました。何かに失敗してきこえるふりをしている演技がばれて、きこえないことがわかってしまうことが怖かったです。何よりも自分が“きこえない”ということを自分で認められませんでした。」(普通校で育った中等度難聴青年・男子) |
| ②「聾学校から一歩外に出ると視線を強く感じ、聴覚障害者であることを知られたくない、隠さなければと思いました。聾学校の友達と町を歩くときは、普段は手話を使っているのに手を動かすのをやめました。髪を長くし補聴器を見えないようにし、外でははずすことが多かったです。当時は自分が聾であることを恥ずかしく思っていました。」(聾学校で育った高度難聴の青年・女子) |
| ③「私の親は、『技短(現筑波技術大は当時3年制短大)で聴こえない人とばかり付き合っているの? 筑波大の学生とつきあう機会はないの? 聴者とのつきあいも大事よ』とよく言っていました。それで私が『もし、きこえない人を好きになってその人と結婚すると言ったらどう思う?』って聞いたら『聾者はダメ!』の一言でした。」(普通校出身女子) |
| ④「親は、『技短に3年もいると口話を忘れて発音が下手になる。聴力も下がるから他の大学にかわったほうがいいよ。』といつも帰省する度に言いました。」(普通校出身男子) |
| ⑤「高校までは手話は全然使いませんでした。手話にものすごく抵抗を感じていました。親に常にそう育てられてきたから。とにかく聴者についていけって親はいつも言ってました。」(聾学校出身女子) |
同障者との出会い、手話との出会い
しかし、このように教育されて育ってきた自分自身のあり方・生き方に疑問を感じている人たちもいました。以下はそんな人たちのコメントです。
| ①「高校まで自分がきこえないことを恥ずかしいと思っていました。だから、髪を長くしていました。補聴器をじろじろ見られるのが嫌だったんです。でも、今ではきこえないんだから見られてもいいやと思えるようになりました。この大学(筑波技短)できこえない人たちと付き合い、手話を覚えて自分の考え方も変わっていきました。今まで聴者ばかりの世界から聾者の世界に入って聾者でもいい人がいるんだなって知りました。そして自分自身もその一人なんだと受けとめられるようになりました」(普通校出身女子) |
| ②「口話だけだと、聴者の世界からも聾者の世界からも取り残されると知りました。手話があれば自分の意見が言えるんだとわかってきました。」(聾学校出身男子) |
聴者を目標にしてがんばってきた自分。しかしどこまで行っても決して聴者にはなれない自分。一体、自分は何者なのか? そんな疑問をもつようになった人が、尊敬できるきこえない人(ロールモデル)と出会い、そこから、「自分という存在」について改めて問い直し、あるべき自分自身を見出していくという過程を経る人は少なくありません。
ーー少し話がそれますが、今(2026.4)、各地で上映されている『私たちの話し方』という映画は、手話話者、人工内耳装用者、手話・人工内耳併用者という三者の立場から、それぞれの育ち方と絡んだ「自分の言葉」とは何かについて問い、聴覚障害者における「多様性」について考えさせられる作品です。
―さて、Sさんも、同障であり同郷の先輩である宮城選手と出会い、同じ聞こえにくさをもちつつ活躍する姿を見て、そして宮城選手のことばに勇気づけられ、「自分も大丈夫かもしれない」という気持ちが芽生えてきたようです。この出会いは、失いかけていた自己肯定感を後押しする力となったのではないかと思います。これからのSさんの心の成長を見守り、応援していきたいと思います。
今後の学校での取り組み~障害認識・障害理解へ
そして、ここからは、それをさらに後押しする学校の取り組みが必要だろうと思います。この記事では、『難聴の子との会話』というコラムで、①できるだけ静かな場所で、②顔・目線を合わせて、③口元が見えるように、④普通の会話のテンポで、⑤表情やジェスチャーを豊かに、⑥二人同時に話さないなど、難聴児への関わり方・話し方について取り上げています。この学級・学校でも、その後Sさん自身の「障害認識」やSさんと関わる周囲の人たちの「障害理解」のための授業や関わりが実践されていくのだろうと思います。
家庭での取り組み~自己肯定感を育む
最後に、この記事では、家庭の取り組みについてはとくに触れられていませんが、家庭においては、以下のようなことを配慮するとよいのではと思います。
*これについては、ぜひ、『幼児期から育てたいセルフ・アドボカシーの力』(2025.6.22本HP掲載記事)をお読みください。
①幼少期より、子どもにいつも「愛しているよ」というメッセージを伝える(笑顔で、ことばで、抱きしめて)。それによって子どもには、「私は愛されている」(I‘m O.K)という自己肯定感の土台が育つと思います。
②子どもが自分で選択し自分で決める、自主的・主体的な力を育てるように関わる。肯定的な環境の中で、試行錯誤しつつ子どもは自分を成長させていきます。
③難聴であることを否定的にみないで、その子らしさのひとつとして認め、具体的に起こってくるその子どもの困り感について、適切な対処ができるように関わり教える。それによって、子どもは自分のきこえなさ・きこえにくさを事実・身体的な差異として認め、自分自身の置かれた状況を客観的にみつめ、それに対処できるようになる。
④上のことと関連しますが、「聴覚障害」という障害は、周りの人と関わる時に「障害(困り感)」が顕在化することが多いので、家庭でも本人が気づけるように、今、起こっている「障害」について伝え、どうすればその「障害」が解決・改善できるかを一緒に考え、気づかせていく。(例えば、静かなレストランでの食器がガチャガチャ触れる音、食べ物を嚙む音などの聴社会でのマナーなど、本人が気づかない音)
事例
以下の事例は、幼少期から上に述べたような力(セルフ・アドボカシー)を育てるように配慮してきた事例です。以前に、このHPでも取り上げた事例です。この事例を書いて下さった方が、最近、以下のようなメールを下さいましたので紹介いたします。
どんなことを大切にしてきたか
難聴であることに対して劣等感を抱いたり、自他意識が芽生える前にやってきたこと
① 朝、補聴器をつけるときに・・・
「〇〇ちゃんは難聴だから、補聴器をつけるんだよ」 と言い聞かせてきました。
② 友人に、難聴について明るくオープンに話す(その姿を見せる)
③ 補聴器を目立たせる、隠さない。
「かっこいいでしょ」とお友達にも言う
④ なんで難聴なの?の問いには、事実を伝える
「お父さんとお母さんの、難聴遺伝子を受け継いでいるんだよ」
⑤ 聞こえなかったであろう場面は、理由を言葉にして聞かせる
「遠いから聞こえなかったね」 「声が小さくて聞こえなかったね」
「周りがうるさくて聞こえなかったね」 「外だと聞こえにくいよね」
⑥ ロジャーを使うことで、聞こえるのが当たり前の日常を過ごす
取り組んだ結果、育ってきたこと
上記のような取り組みを継続してきて、育ってきた力は以下のようなことです。
聞こえにくい場面を“自分のことばで言えるようになった
小学校就学後に通うことばの教室(通級指導教室)の面談の中で、
「聞こえにくいときはいつ?」と先生から尋ねられた際、子どもが
「外にいる時」「園庭にいる時」と自分の状況を具体的に説明できました。
「どんな場面で困るか」を本人が捉え始めている大きな変化だと感じています。
幼稚園のお迎え時間について“理由つきで要望”を伝えた
私の幼稚園のお迎えを「遅く来て」と本人から言ってきました。理由を尋ねると、
- 「早いと人が多くてうるさい」
- 「僕は静かなほうがいいんだよ」
と、環境の問題と自分の特性をきちんと言語化していました。これは、自分の聞こえやすさの条件を理解し、
環境調整を求める セルフアドボカシーそのもの だと感じました。
補聴援助システム(ロジャー)の効果を自分で説明できた
家庭でロジャーの話をしていたとき、子どものほうから積極的に会話に入ってきて、
- 「ロジャーって何メートル聞こえるの?」
- 「テニスコートでも聞こえる?」
と質問をしてきました。
さらに、テニスコートでの経験を思い出して
「めっちゃ離れてるけど○○コーチの声聞こえた!」
と、自分の成功体験とロジャーの効果を結びつけて説明しました。
「道具の効果を理解し、言語化できる」というのは、
将来の自己 advocacy(自分の困り・必要を伝える力)につながる重要な段階と感じています。
まとめ
- 「いつ困るか」を自分の言葉で説明できるようになってきた
- 「どうしてほしいか」を理由つきで大人に伝えられるようになった
- 補聴援助システムの効果を理解し、自分の体験と結びつけて説明できるようになった
このことから、幼児期でも子どもが自分の“聞こえの特徴”を少しずつ理解し、周囲に伝えようとする力を育てることができると思います。
